ー ファースト・ラブ ー

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「すごいっしょ? 文科省だよ? 昔から沙世はコツコツ頑張る優等生だったもんね」 「お願い穂乃果、もうやめて。その話も広めないで」 「なんでさ? いいじゃない、本当の事だもん。古谷先生だってそれ聞いて感動のあまり泣いたっしょ」    沙世は溜息をついた。一体いつの間に知れ渡っちゃったんだろう。まるで自分の事みたいに隣で得意げに話す友人を、沙世はやんわりと制した。 「もうその辺にして、ほら、パスタ食べよ? だいたい選ばれたっていっても、教職の広報に私の授業が載って、偶然それが文科省の担当者の目に止まっただけなんだから。運が良かったんだよ。私より凄い授業する先生は全国にたくさんいるもん」 「運も実力のうちじゃない。もっと自信持ちなさい。まぁ、クジ運だけはないけどね」 「確かに。昔からポケットティッシュすら当たった事ないしね」  穂乃果と顔を見合わせて笑いながら、沙世は温くなったカクテルを一口すすった。  壁際の長テーブルを囲んでいるのは、今日集まった元3年5組の21名と元担任。結婚した人、子供が3人もいる人、太った人、老けた人…高校を卒業してから10年以上経つが、容姿や年齢は変わっても話をすれば感覚は学生時代に逆戻り。とは言え、ここは教室ではなく札幌市内のカフェバーだけど。  碁盤の目に造られた札幌の街は、創成川を中心に東西に分かれている。再開発が進んでいる東側エリア、通称"創世川イースト"は、観光客で溢れる北の大歓楽街ススキノとは対照的に、古い下町の情緒と近代的な要素が混ざり合う地元民に人気のスポット。    土曜の夜という事もあり、昭和初期のレンガ倉庫を改装したイタリアンカフェバーでは、大勢の客が料理と酒を楽しんでいた。古い酒蔵をリノベーションした店内は、石壁の風合いと木の温もりが調和する落ち着いた雰囲気で、吹き抜けの高い天井からぶら下がるオシャレなシャンデリアとシックなジャズミュージックが大人の空気を漂わせている。  上座に担任を置き、四人掛けテーブルを向かい合わせにくっつけて、仕事や家庭などの話を肴に会話を弾ませるその光景は、お昼の放送を聴きながら弁当を食べた高校の教室そのものだ。 「サヨはまだ独身だよね?」  向かいからそう訊ねてきたのは真奈美だった。2人目の子供が入っている友人の大きなお腹をチラリと見てから、沙世は小さく頷いた。 「そう、当分は結婚の予定なし。マナは今8カ月だっけ?」 「先週で9カ月に突入したよ。もう腰が痛いのなんの…って、ちょっとリョウ、あんたさっきからどうしたの?」  お腹をさすりながら、真奈美が隣の男子を横目で睨んだ。元クラス委員長に睨まれたのは、乱視が進んで眼鏡をかけたというもう1人の幹事、加瀬涼平。注文したビールに手も付けず、さっきからずっと時計を見たり携帯電話をチェックしたり、落ち着かない様子でソワソワしている。実は沙世もずっと気になっていた。 「ねぇ涼平、トイレ行きたいの?」 「オレは小学生かっ。違うよ、ただちょっと…」  ちょっと、何だろう? 沙世は対面を覗き込んだ。予算でもオーバーしたのか、涼平は入り口付近のレジカウンター辺りを遠巻きに眺めながら、心ここにあらずという感じで独りブツブツ呟いている。 「ったく、遅いな…何してんだ、終わっちまうぞ…」  苛立たしげに涼平が舌打ちした時だった。テーブルの上に置いた涼平の携帯電話が、激しく震えて隣のフォークを振動させた。沙世がそれに気づいた時にはもう、涼平は携帯電話をひったくって慌ただしく外へ向かっている。 「もしもし? お前なぁっ、今何時だと思ってんだよっ。オレがどんだけ苦労して誘ったと…あ?…とっくに来てるって。つーかもう1次会終わるぞっ…」  電話に捲し立てながら店から出て行った涼平は放っておき、沙世はグラスに残ったカクテルを飲み干すと、友人達の話の輪に戻った。それにしても、妊婦のお腹って本当に大きい。触ってみなよと真奈美が言うので、少し触れてみたらパンパンに張ったお腹は意外に硬かった。もう少し弾力があるものだと思っていたのに。 「わっ、今ポコンってしたよっ」  お腹を撫でていたら、突然掌に指で弾いたような柔らかい衝撃が伝わってきて、沙世は咄嗟に手を引っ込めた。その様子を見て真奈美がゲラゲラ笑う。   「元気いいんだよね、女の子なのにさぁ」 「なんか凄いね。本当にお腹の中に子供がいるんだ?」 「胎動っていうんだよ。いや~もう動くわ蹴るわ、大変さ」
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