夕風呂はエルドラド

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 あぁ、確かに私は他の人よりは時間の自由が効くかもしれない。 だが隠居生活をしているわけでもないのでそれなりにやることはある。 しかしてそれらをやりくりしてまでも夕風呂に入る値打ちがある、とここは声を大にして言いたい。 食事の準備? 仕事の残り? 家事? そんなもの風呂の後でもいいじゃないか。  一日の全てが終わって、ようやくやれやれ、と夜遅くに入る風呂も悪くないが、そんなヨレヨレの風呂はあまり嬉しくない。 いや、そんな夜中に疲れきって入る泥のような風呂も、妄想一つで黄金に輝く夕風呂にならないか。  私が今まで最高だと感じた風呂は、意外や温泉ではなく、沖縄のとあるリゾートホテルの部屋風呂だった。 部屋風呂とはいえ、客室の真ん中に浴室があり、両面の鎧戸を開けば片や西に沈む夕日が、そしてそこから流れ込む風が緩やかに通り抜けてゆく。 多くの利用者は、ここでお互いに裸を見られても気にならない人と過ごすのだろうが、幸か不幸か私はそんな贅沢な部屋を一人で使わせてもらった思い出がある。  多分これ以降なのだ。 私の夕風呂へのこだわりが深くなったのは。  つまりは憧憬だ。 うちはマンションゆえに浴室に窓は無い。 扉を全て閉めてしまえば時間がいつであっても照明以外に光はない。 あのホテルように射しこむ夕日もあるわけがない。  それでもいいじゃないか。 空気が、香りが、夕風呂には夕風呂にしかない特別がある。  何より、風呂上りには一缶のビールが冷蔵庫で私を待ってくれている。  ご存知だろうか。 毎日ほぼ同じ時間にビールを飲んでいると、ある日を境に味が変わることを。  それは大凡五月だったり六月だったりするのだが、ある日同じ銘柄であるにもかかわらず、夏の味がするのだ。   不思議なことに、この日から冬の味を感じる日まで、私にとってビールは夏味の期間となる。 別に冬味が嫌いなわけではない。 ただ夏好きゆえに、半年ぶりの夏との再会を懐かしみ、そして別れを惜しむことが夕風呂のあとのたった一日一缶のビールが叶えてくれるのだ。 なんて風流な、これはもう花鳥風月としか言いようがないじゃないか。
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