第一章 朱火定奇譚 飯

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 不思議な話だが、俺の出身地である、壱樹村(いつきむら)では記憶を操作する者もいるので、まずは記憶操作を疑うだろう。でも、こちらの世界では、記憶操作など無いと知っている。 「上月、定食とビール」  氷渡(すがわたり)が来ると、テラス席に座りネクタイを緩めていた。喫茶店ひまわりのテラス席には、ガラスの屋根が付いているが、雨の滴が落ち続けていた。氷渡に中に入ったらと声を掛けたが、入ってくる様子はない。 「氷渡、今日は早いね」  まずビールを持ってゆくと、氷渡が俺を睨んでいた。 「……上月、変な事件に巻き込まれないでね」 「はい、定食を持ってきます!」  氷渡は弁護士で、忙しくなってくると、帰って来ない時も多い。事務所の椅子で仮眠をしながら、仕事を続けてしまうらしい。今も、氷渡は疲れてはいるが、ビールを注文するあたりから、仕事の区切りがつき、家に帰って眠れるのだろう。  俺が定食を持ってゆくと、氷渡がテーブルに頭を乗せて、眠ってしまっていた。 「氷渡、定食だよ」  氷渡は目を開くと、俺の顔を見た。 「上月か……光二かと思った」  俺と光二は双子なので、声が似ていてもおかしくはない。 「光二はインフルエンザで、中で眠っているよ。今日は俺も有給を取って、光二に病院に行って貰った」  俊樹のインフルエンザを伝染されたと、光二は怒っていたが、俊樹は光二から伝染されたと言っていた。 「……そうか。光二は出て来ないのか……」  俺と光二は、二重人体と呼ばれる存在で、一つの空間に二人が存在している。二重人格とは異なり、肉体も記憶も二人分あるのだが、一つの空間を共有しているのだ。  俺が表に出ている時は、光二は中に入っていた。 「何か、光二に話したい事があった?伝言するけど……」  氷渡は首を振ると、定食を食べ始めていた。 「もう少ししたら、店を閉めるからさ、一緒に飲むか……」  三階の飲食店街に、定食屋が出来て、喫茶店ひまわりの客が減ったが、弁当の需要が増えてきていた。それに、酒を飲みに来る人もいるし、デザートを食べにくる人も増えた。  定食よりも利益が出ているので、俊樹はこのままでもいいという。俺も、このゆっくりできる雰囲気が気に入っていた。 「……そうする」  俺が厨房に戻ると、志摩がトレーと弁当を並べていた。しかし、店内を見ても、そんなに客はいない。 「志摩、これは、どこに運ぶの?」
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