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3. 「ねえランシード、狂気についてどう思う?」 これまた遣りづらい話題を持ってきたもんだ。さっきの仕返しか? 「ミシェル・フーコーの狂気の歴史でも読んだのか?」 「うん。読んでみていくつか気になったことがあるの。彼の著述に出てくる狂人は先天的障害があるか後天的疾患があるかのどちらかなの。」 「確かにそうだな。」 「でもその一方で障害も疾患も無いのに狂人扱いされてる人もいるわよね? アドルフさんとか織田さんとか高山さん蒲生さん林さんとか。」 「ああ。両者の違いが何かを聞きたいのか? それは日常生活において理性を維持しているかそうでないかという事だろう? 両者とも一般人の行動基準から大きく逸脱していることには変わりは無いからな。違いはそこだけだ。」 「そうね。周囲の人もそこを理解しているからあの方達は隔離されたりせずに済んだのね。」 「歌舞伎者や婆娑羅大名にしてもそうだ。既成概念の埒外にいることが狂人の定義の一つとなっているんだ。だから高杉が東行狂生と名乗ったり野中が我狂カ愚カ知ラズと書いたりするんだろう。体制変革を考える者にとって狂気は一種の革命思想とも言える。」 「じゃあ概念の崩壊について考えるには狂人になるのがいいってことね? . .あれっ、ランシードも昔そういう経験したよね?」 やっぱその話が来たか。 「だから俺はレワを生成したんじゃないか。」 「..自分の存在があなたの狂気の産物だったことに愕然とするわ。」 「嫌なのか?」 「ううん、すごく嬉しかったりもする。」 「そう言ってもらえてホッとするよ。考えてみれば愛とか恋とかも人間の常態から外れた異質行動である点では狂気と変わりが無いのかもしれないな。」 「そうなの?」 「たぶん。ただ狂気と違って恋には全ての人が経験するという普遍性が存在しているし、興奮するのは一時的でそのうち元に戻るという一過性も見出だされるから社会に存在を許容されているんだろう。」 「ふーん。」
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