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あたしは、するりと部屋に入り込み、息を潜めた。
大丈夫。誰もいない。
侍だの、大名だのと言って威張ったところで、ちょろいものよ。
ここはかつて、おゆきちゃんがいた座敷。若君さまに愛されて、大勢の腰元達に護られて、金糸銀糸のおかいこぐるみで、何不自由の無い暮らしをしていた。
でも今はもう、何も無い。
がらんとした部屋の中は真っ暗で、ひどく寒々しい。
おゆきちゃんは、生まれた時からとても綺麗な子で、自分でもそれをよく知っていた。
だから、気位が高くて、ちょっと高慢ちきな所もあって、
「あたしは、いつまでもこんな路地裏になんていやしない。大きなお屋敷で、お姫様みたいにかしずかれて暮らすの。毎日鯛の尾頭付きを食べて、夜は真綿の入った絹の布団で眠るのよ」
そんな夢のようなことばかり言って、そこんじょそこらの男なんか、洟も引っ掛けやしなかった。
そうさ。夢物語だとばかり思っていたのに、おゆきちゃんは、とうとうその夢を叶えた。
「たまたまよ。たまたま、若様のお目に留まったの」
本当にたまたまかしらね。
始終お屋敷の周りをうろついては、お出かけになる若君さまの御駕籠先に佇んで、可愛らしく小首を傾げて流し目を送ったりしていたんじゃないの。
「そりゃあね。這い上がるためだもの、そのくらいの努力はしなくっちゃ。秋波を送った相手は一人じゃないけれど、たまたま今の若様の目に留まって見初められたのよ。今じゃ、あたしがいないと夜も日も明けないの」
うふんと笑うおゆきちゃんは、まるで本当のお姫様のように扱われ、あたしなんか側にも寄れない。一緒に産声を上げた姉妹だというのに、あたしはまるで泥棒猫みたいに床下に潜んで話をすることしかできなかった。
「出ておいでよ。その気になれば、おすみちゃんにだって出来るわよ」
「無理よ、あたしなんか」
「そんなこと無い。結構いい線いっていると思うんだけどなあ」
そう言って、こんなあたしを励ましてくれたおゆきちゃんは、もういない。
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