プロローグ 「結城純恋」(ユウキ スミレ)

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   1  彼女は自由を求めて飛び立った。二十二階のベランダから暗闇に向かって──  その時、彼女がどれ程の心の闇を抱えていたのか、誰も知らない。  彼女は部屋の照明を全て消した。カーテンも閉めず開け放ったベランダ越しに、競うようにして建てられた高層ビルの窓が連なって見える。何百もある窓は、ほとんどが白く光り、彼女の部屋のリビングまで照らしていた。もう午後八時だというのに、残業を強いられているサラリーマンがどれだけいるのだろう。  そろそろ酔客が増えてくる時間でもある。    しかし、東京都新宿区、歌舞伎町まで歩いて五分ほどの場所にあるマンションなのに、二十二階のその部屋には騒音らしい騒音が聞こえていなかった。部屋の中では時折思い出したように、籠の中のセキセイインコが鳴く以外物音一つしない。まるで飼い主の安否を確認するかのように、優しく切ない鳴き声が暗闇に虚しく響く。  今夜はビル風もほとんどなく、エアコンをつけず、開け放ったベランダから吹き込む風が柔らかく心地いい。    彼女はソファに座っていなかった。    十畳ほどのリビングに置かれたソファは仕事で疲れたときなどそこで寝てしまう事も多々あった。横になるとすっぽり彼女を包み込むくらいの大きさで、クッションの感じといい、皮の感触といい、お気に入りの一品だった。    でも、今はソファに座っていない。    ソファとガラステーブルの間で、テーブルにうなだれるように、フローリングに足を投げ出し座り込んでいた。
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