プロローグ 「結城純恋」(ユウキ スミレ)

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 リビングに差し込むビル灯りは、テーブルに置かれた小物の輪郭を浮かび上がらせている。  飲みかけのビールグラス──半分ほど飲んで辞めたようで、炭酸の抜けかかったビールが残っている。横に置かれた携帯電話。彼女は指先で力無くリダイヤルを押す。何度かの呼び出し音のあとアナウンスが聞こえてくる。 『おかけになりました電話番号は電波の届かない場所におられるか、電源が入っていないためかかりません…』──まただ。一昨日から何度かけても同じだ。彼女の頬を涙が伝う。チュチュッ──励ますようにセキセイインコが鳴き声あげるが、身体全体を小刻みに震わせ、混乱している彼女の心には全く届かない。  悲しみと不安だけが心を満たしている。  携帯電話の隣にはフタが開いた缶ビールが一缶。  その横には灰皿。彼女はタバコを吸わない、これはあの男がこの部屋に来ると使っていたものだ。今はタバコの吸い殻ではなく、使いかけの注射器が置かれていた。  リビングでうなだれているとはいえ、彼女のシルエットは美しかった。腰まであるストレートで艶やかな黒髪、抜群のプロポーションは赤いワンピースの曲線を際立たせ、横に投げ出している二つの足はすらりと長い。それもそのはず、彼女は十六歳でとあるアイドルグループのオーディションに合格したのち、三年ほどセンターを努めあげて卒業。その後女優として映画やテレビに出演しながら、ソロのシンガーソングライターとして活動を始めると、出す歌全てが大ヒットとなった。  そして二十五歳の時に、子供たちに大人気の番組「プニュプニュぽっぷん」のお姉さんとして抜擢され、幼稚園児から小学生、お母さんからお父さんまで知らない日本人はいないといっていいほど、国民的な人気者になった。  彼女の名前は結城純恋。子供番組ではユキミンの愛称で呼ばれている。  このマンションは純恋の自宅マンションだ。
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