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「この舟と当座の食糧もありがとうございます。おかげで助かりました。ウベンさんもパンありがとう」
「なあに、旅立つ若人へのささやかな餞じゃよ」
「ああ、やっぱりエジプト人といえばパンだからね」
二人もしんみりとした顔をちょっぴり覗かせると、それを誤魔化すかのようにして、わざと明るい声で彼女に答える。
「そんな粗末な小舟ですまんの。も少し財力があったら、ちゃんとした木の舟を用意してやれたんじゃがの……」
「いいえ、そんな! これだけでも本当に感謝しています。セクメトに川底を歩かせて引っ張っててもらうんで、パピルスの舟でもナイルを旅するのには充分です。それに、もし高価な木の舟に乗ってたら不必要に目立っちゃいますしね……じゃ、今度こそほんとうにお別れです。どうぞ、お元気で」
またも涙が込み上げてくるのを感じ、メルウトは改めて別れの挨拶を述べると、胸にかけたアンクを握りしめ、水中のセクメトへ指示を送る。
すると、セクメトと舟の舳先を結んであった綱がピンと張られ、パピルスの小船は少しづつ川岸から離れてゆく。
「ああ~! おまえさんも元気でのぉ~!」
「いつか一人前になったら~! お嫁にもらいに行くからね~っ!」
太陽神ラーが夜の旅を終え、金色に輝き始めたナイルの水面を遠ざかってゆく舟上のメルウトへ、ジェフティメスとウベンも岸から手を振って、それぞれに別れの言葉を贈る。
「ジェフティメスせんせーい! ウベンさーん! さようならーっ! …グスン……ほんとうにぃぃ~……ほんとうにお世話になりましたぁぁぁ~っ!」
増水期を迎えたナイルの如く、両の目を満たした涙を溢れさせながら、小さくなっていく二人の恩人にメルウトも懸命に手を振る。
「……グスン……さあ、行くよセクメト。わたし達の未来を切り開くための旅へ……」
そして、舟の進む川下の方向を振り返ると、真っ直ぐな瞳で明けゆく前方の水平線を見つめ、胸に光る黄金のアンクをメルウトは力強く握りしめた。
(戦闘女神セクメト 了)
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