研修ときどき雨模様

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 藤野が救いを求める顔で僕の方を見てくる。残念だけど、僕にはその電話の相手は務まりそうになかったため、静かに首を振っておく。  裏切られた、という蒼白な顔を一瞬見せたが、すぐに何事もなかったようにして、電話の相手にこたえ始める。  そういえば永田は、……と思って視線を左後ろにやると、靴を脱ぎ、ベンチ一個を丸々利用して寝ている姿を見つけた。  すでに静かな寝息を立てている。あの電話の声によく起きなかったものだと思う。それほどに大きな声だった。  今更だけど、藤野の耳は大丈夫だったのだろうか。  そんな心配をよそに、それじゃあ雨が止み次第入場ゲート前に集合で、という約束を取り付けて藤野が電話を切る。  そして僕の方を見てにこっ、と笑う。どうしていいかわからず、能面顔のような感情のこもっていない表情で藤野を見つめ続ける。 「やだなぁ、そんなに見つめられると…………吐きそう」 「おいっ、吐きそうってなんだ吐きそうって」  思わず突っ込んでしまったが、本当に苦しそうな藤野を見て心配になってくる。腹と口を押えて前かがみになって、体を震わしている。その顔が見えないのがよりいっそう僕の不安をあおる。  大丈夫か 、とそう声をかけようとしたタイミングだった。  っぷ、という破裂音が藤野の口の方から響き、それから堰を切って藤野が腹を抱えて笑い始める。 「はは、面白い、面白いよかとゆー。は、はは、だめだ、はは、はははははは」  その声に僕は不快感を露わにして顔をしかめる。かとゆーとあれほど呼ぶなと言っているのに。  いや、そこかよと言われるかもしれない。だが、僕にとっては、自分が笑われているかもしれない現状より、自分の呼び名の方がよっぽど重要だった。それは、僕が自分の名前が嫌いだから。  いや、単純に、自分が笑われているという現実に思考が追い付いていないだけかもしれない、と心の中で試行している落ち着いた自分がいることに驚いた。  しばらく笑い続けて、やがて苦しくなったのか、はあはあと荒い息をしながら、藤野は呼吸を落ち着かせようと必死になっていた。  ようやく現実に意識が追い付いた僕は、顔が火照り、煮えたぎるような怒りが腹の底から湧き出てくるのを感じた。 「ふじー」 「ああ、ごめんごめん。前にもこんなことがあったなって思って。そしたらなんかツボに入ってね。笑いが止まらなかったんだよ」
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