第二十六章 鈴木實⑯

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第二十六章 鈴木實⑯

豪州、蘭印の広大な制空権を握り続けた名指揮官 洋楽部門の責任者となり、カーペンターズの大ヒットを仕掛ける  昭和四十一(一九六六)年、仕事復帰とともに常務取締役兼営業本部長に就任した鈴木さんは、続いてデッカ・ロンドンレコード部長も兼務し、以前にも増して精力的に仕事を続けた。  ロンドンレコード部長を兼ねるので、海外アーティストの契約交渉やデッカグループの国際会議などで、社長になった町尻量光氏とともに海外に出張する機会も増えてきた。海外では、鈴木さんは、クープランドがつけた「セーラー(海軍軍人)」のニックネームで呼ばれていた。  ここで鈴木さんの右腕の洋楽販売課長となったのが粟飯原(あいはら)博和さんである。粟飯原さんは昭和七(一九三二)年生まれ、戦時中、南満州鉄道勤務の父のもと、満州各地を転々として育ち、北朝鮮の羅津で終戦を迎えた。そこから命からがら日本に引き揚げ、県立千葉高校、千葉大学を出て、キングレコードに入社した。それまでの九年間、名古屋支店のセールスマンとして、店ごとの売り上げデータを駆使したきめの細かい売込みで、きわだった成績を挙げている。その手腕を見込まれての本社転勤であった。粟飯原さんは、鈴木さんが大阪から東京本社に栄転するさい、名古屋駅ホームで万歳を叫んだうちの一人でもあった。
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