第二十六章 鈴木實⑰

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 首の牽引のリハビリを重ねるうち痛みはおさまったが、全身の麻痺はそのまま残った。入院は十四ヵ月におよび、その間、ちょっとした傷がもとで壊疽を起こした左足を膝の下から切断した。  そんな鈴木さんを進藤さんは心配して、毎月、宮島口の名物・穴子弁当を奥さんに持たせ、鈴木さんのもとへ届けさせた。進藤さんももはや、心機能が衰えて自力での外出は無理であった。進藤さんは平成十二(二〇〇〇)年二月二日、自宅のソファに座ったまま、眠るように息を引きとった。  病床で進藤さんの訃報を聞いた鈴木さんは、しばらく瞑目すると、 「そうか、進藤も死んだか」  と何度もつぶやくように言った。  退院し、三原の礼子さんの家に戻った鈴木さんは、動かぬ体をベッドに横たえて、眼下の瀬戸内海を行き交う舟を眺め、隆子さんや礼子さんのおしゃべりを聞きながら毎日を過ごした。私は都合八回、ここに鈴木さんを見舞っている。  鈴木さんは、首から上はしっかりしていた。頭はもちろん、耳も遠くないし、九十歳にして入歯もなく、自分の歯が全部残っている。だが、首から下は、手の先がわずかに動く以外は完全に麻痺していた。  風呂には朝、礼子さんやヘルパーが二人がかりで入れる。ちょうど、湯船に浸かって見える位置に、海軍兵学校の愛唱歌「江田島健児の歌」の歌詞を書いた紙を貼り、鈴木さんは毎朝、この歌を口ずさんだ。礼子さんに紙と筆と墨を用意させて、ベッドを起し、スケッチブックに字を書くリハビリも一生懸命にやった。痛みが引いてからは達観したのか、自分の体や介護に対して不平一つこぼさなくなったが、それでもストレスを感じることはあったらしく、紙に、 「不愉快不愉快ババアがうるせい」  と書きなぐることもあった。
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