第二十六章 鈴木實⑰

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と、鈴木さんに提案した。小豆島には、老後をそこで過ごすつもりで鈴木がキングレコード営業本部長だった頃に買った家がある。 「いいね」  鈴木さんは嬉しそうに賛成した。  小豆島では、広島県三原市に嫁いだ鈴木さん夫妻の娘、松尾礼子さんと孫娘の芽実(めみ)さんが、全員の食事の用意や世話をする。十日間、皆が機嫌よく過ごして、鈴木さんが自分の癌に気づかぬよう、いつものようにさりげなく別れた。進藤さんは、鈴木さん夫妻と別れて広島まで送られる道すがら、 「絶対大丈夫だ。ミノルが死ぬもんか。また来年も来る。きっと来る」  と、涙ぐみながら何度も言った。いっぽう、山下さんは、横浜の自宅に帰るまで一言も口を開かなかったという。  鈴木さんの手術は、胃の三分の二を切除して、成功した。平成五(一九九三)年八月七日には、鈴木さんは山下さんとともに、初めて「零戦搭乗員会」の総会に参加している。上野精養軒に百四十一名もの元零戦搭乗員が集ったこの会で、鈴木さんは「長老」として乾杯の発声を求められた。 「俺が長老か……」  八十三歳、参加者の中では最年長で海軍での序列も上ではあるが、せっかく昔の仲間と久闊を叙しあいたいと思ってきているのに、「長老席」と称する別格の席を用意され、しかも、大分空時代の教え子や二〇二空、二〇五空時代の部下が、「分隊長!」「隊長!」「飛行長!」と、当時の職名で語りかけてくる。これでは、自分の知らない連中に疎外感を与えてしまいそうだ。それに「党中党をつくる」のは、鈴木さんは嫌いであった。鈴木さんは結局、これきり会には出なくなった。  私が、零戦搭乗員会代表世話人をつとめていた志賀淑雄さんに紹介され、鈴木さんとの縁ができたのは、戦後五十年の節目を迎えた平成七(一九九五)年のことである。
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