第二十六章 鈴木實⑰

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 横浜に山下さんの見舞いに行って一ヵ月も経たない五月二日、鈴木さんも事故に見舞われる。鈴木さんは体の動きをよくするために、練馬春日町にある鍼灸院に通っていた。いつもはタクシーで出かけたが、その日に限ってちょうどよくバスが来て、隆子さんと二人でバスに乗った。すると発車して間もなく、前を走っていた車が急にUターンして、バスは急ブレーキをかけた。鈴木さんは席にかけた直後で助かったが、隆子さんがはずみで運転席の横まで吹っ飛ばされた。隆子さんは腰を強打して、歩けなくなってしまった。  隆子さんが動けなければ、鈴木さんは家事もなにもできない。そこで鈴木さん夫妻は、広島県三原市に暮らす娘・松尾礼子さんのところに身を寄せることになった。松尾家は、瀬戸内海を見おろす高台にある。鈴木さんはここで、隆子さんとベッドを並べて療養生活を送った。  隆子さんが車椅子でどうやら動けるようになると、鈴木さんは進藤さんに電話して、互いの家の中間にあたる広島空港横のエアポートホテルのロビーで待ち合わせ、夫婦揃って何度か会った。会ってもべつにおしゃべりをするわけではない。ただニコニコと向かい合って数時間、座っているだけで満足だった。 「生きておったら、また会えるさ」
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