6.ソメイヨシノ

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「ねぇ、ねぇ、奥さんにはなんて言ってでてきたの?」  私は意地悪な気持ちになっていた  あの人は時々上の空になることがある  きっと奥さんのことを心配しているのだろう  だから私は、せめて今だけはあの人を独り占めにしたかった 「いや、別に……、普通に出てきたよ」  そんなに重たく考えることないと思うんだけどな  私だってわかっているわ  こういうことは"いけないこと"だって  でも、好きになっちゃったんだもん  仕方がないわ 「ねぇ、チュウして」  いつまでもこういう関係を続けようとは思わないけど、今は私のことだけ観ていて欲しいな 「こんな人前でなんか、まずいって」 「じゃやさぁ、もう桜も観たし、人がいないところに行こうか」  急に彼が立ち止まって動こうとしない  あれ、どうしたのかな?  怒らせちゃったかな?  私はあの人にばかり気を取られていて、周りがぜんぜん見えていなかった  あの人の視線を追う  川沿いに続く桜並木はずっと先まで続いている  目の前にある一本の木にあの人の目が釘付けになっている  そこに一人の女性が立っているのが見えた  色白ですらっとした美しい女の人がこっちに向かって歩いてくる  なんだろう  笑顔なのに目が笑っていない  私はとっさに身の危険を感じたけど、身がすくんでしまって動けない  そのくらいの威圧感が私を貫いていた  私は幼かった頃、姉の大事にしていた人形を外に持ち出して汚してしまったことがある  あの時と同じだ  あのとき姉は、私をすごい形相で睨みつけて、私の頬をぶったのだった 「人の物を勝手にとらないで」  姉はそう言って泣きながら私を突き飛ばした  あの時も春だったかしら……  春の悪戯  見初めた人の肩越しに  鋭い刃 手にした鬼か  口惜しいかな  がくがく震え 身を隠す  かの人倒れ しゃがみこむ  逃げる間もなく 激しい痛み  血に染まりゆく ソメイヨシノか
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