第一章 【二】

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 佐藤が助けた軍服の男は、名を【井上陽介】という。陸軍に所属する無口な男だった。ただ、彼を可愛がる上官や慕う部下は多い。井上は口数こそ少ないが、目は確実に意思を伝える術を持ち、余分な言葉を発さず、行動で示す。また、義を大切にする昔気質な一面も持っていた。  井上は、気を失っている佐藤をソファに寝かせ、水を飲ませてもらう事にした。この肥満気味の男はなぜ自分を助けたのだろう。この簡易シェルターの様な部屋にも疑問はあるが、食料の面から考えても見て見ぬ振りをすればいい筈だ。  まぁ、気まぐれでもなんでも助けられたのは事実だ。自分を追ってきた化物が数体マンション内に入る事になったが、数体なら撃退も可能だろう。  井上は残った装備の確認をする。手榴弾は残りわずか、銃は弾数がしっかりと残っている。これだけあれば、助けてもらった分、とりあえず役には立てそうだ。  井上は窓を開け、胸元から煙草を取り出した。酒もギャンブルもしない井上にとって、唯一の嗜好品がこのラッキーストライクだった。室内に喫煙の形跡はない。もしかしたらこの室内は禁煙かもしれないが、こればかりは大目に見てもらおう。煙を吸い、井上の緊張は解れていった。  リラックスしたところで現状について考えようとしたが、自分では何も分からないだろうと直ぐに辞めた。  学業に関して優秀ではない井上だったが、決して馬鹿ではない。自身の能力を把握しているからこそ、可能か不可能か正確に判断できる。このパニックが、何故、どの様に、いつどこで、誰が起こしたのか、自分一人で考えても答えが出ない事は明らかだった。無駄を嫌い、意味のない事はしない。それが井上という男だった。
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