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特に、酷いものであったのが、明和八年の人別銭の導入である。
当時、深江藩の財政は困窮の限りを尽くしていた。毎年のように続く冷夏で不作が続いた事から、上方商人への借財の返済は滞り、参勤のみならず江戸在府の費用まで足りない始末だった。
そこで小忠太が、八歳以上の男女にそれぞれ定められた税を納めるよう進言したのだ。
その対象は、武家のみならず百姓・町人・僧侶など深江藩に住まう者全ての者で、翌年には飼っている動物にまで対象になった。
執政府は強く反対したが、久高が藩主権限で無理に押し通した。その結果、一揆が起こる寸前にまで不満が高まった。
その不満を鎮めたのが、民衆に人気があった松永外記という久高の甥だった。その外記が、諸悪の根源たる小忠太の排除を画策したのだ。
その動きを察した久高は、父に小忠太の警護を依頼した。父は気乗りしなかったが、主命と言われ受けるしかなかった。
そして、秋彼岸の夜。下城の途中を外記の刺客に襲われ、父は小忠太と共に殺されてしまった。
父は、胸を一突きされていた。その刺し傷から広がった血は、まるで曼珠沙華が花弁を広げたようだった。
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