二

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   二

 その日、隼介は、当直だった。  もちろん、一人きりでというわけではない。  当直は、時間外の訴人の受付や、夜間、緊急に発生した出役に対応するのが主な役目で、三人の当番方与力が交代でつとめ、下役の同心達も、数名ずつが組になって、その任に当たる。  といっても、仕事はそれほど多いわけでもない。  町奉行所の門は、普通の与力同心達の退出時刻である夕七つに閉まってしまうが、右側の小門は常時開いていて、夜間であろうが非番月であろうが受付をすることになっており、日暮れ過ぎくらいまでの間はそれなりに、駆け込みの訴人もやって来るが、夜中に駆け込んでくるような頓狂な者は、普通いない。  夜中に、突然の捕り物出役が生じるなんてことも、まず滅多にあるものではない。  どこかで事件が起こっていたとしても、発見されて奉行所まで連絡が来るのは大抵翌朝になってからのことであるし、どのみち日の光が無ければ、検視だって覚束ない。  したがって、火事出役さえなければ、いたって呑気なもので、真面目な者の中には、かさんだ書き物仕事を片付けている者もあるが、大方は茶を飲みながら、下らぬ雑談や囲碁将棋に興じている。  隼介は、真面目なほうの部類であったが、何のことはない。「下らぬ雑談」は、怪談めいた話が飛び出すことも多かったから、加わりたくないのだ。  それを知っていて、わざわざ怪談話を仕込んできては、隼介の側で声高に話し、怖がらせようとする、たちの悪い朋輩もあった。  とにかく、できることなら奉行所で夜を明かすなど、御免被りたい。  夜の奉行所は、広くて暗くて静かだ。  死体や罪人を扱う町奉行所だけに、曰くのある場所がいろいろとある。  どこで何が起こるか、知れたものではないのだ。  厠の苦労は並大抵では無く、できる限りまだ薄明るいうちに用を済ませ、湯茶などは極力控えるようにしていた。  物書きでも書庫の番でも何でもいい。決まったお役が拝命出来れば、この厄介な当直の任から外れることができるのだ。  君子危うきに近寄らず。  この方針で隼介は、あれ以後再び怪異に見舞われるようなことも無く、なんとか平穏無事に過ごしてきたのである。
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