序章 井戸の怪

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 余計なことを言うな、と隼介は思った。 「だから、幽霊なんて――」 「水死体はみんな、そんなものらしいけれど、川縁に立つ幽霊がそんなだったなんて話しは聞かないよ」  白装束に洗い髪が通り相場だ、と言う者があって、いや、それはおかしいと議論になった。  曰く、白装束というのは、棺に納められる時に着せられるものだ。そうであるなら、水から引き上げられた後の姿だ。少なくとも腹は水を飲んで膨れているだろうし、時が経てば全身がふやけて膨れあがる。身を投げたのが川ならば、魚に食われたり、橋桁や流木にぶつかって損傷したりもしている筈なのだ――と、さすが、定廻りの息子は、言うことが違う。  隼介も、そうしたことはある程度、承知している。  父親は、そのような死体を直に見ることなど皆無に等しい例繰り方の同心だったが、お調べ書きには、そういった死体の状態がつぶさに書き記されているらしい。その死体がなぜ、どのようにして死体となったのか。事故か、自死か、あるいは人の手にかかったのかを判断するのに、必要な情報だからだ。  そして、父親は、自分でその酷い死体を実際には目の当たりにせぬせいか、不謹慎にもそんな死体の有様を怪談代わりに語っては、子どもを怖がらせるという悪癖があった。
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