序章 井戸の怪

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 カタカタ、カタカタカタ――  ぎょっと、思わず目を見開いた。  井戸の上にのせられた、粗末な木の蓋が、カタカタと音を立てている。  ――ちゃちな蓋だ。きっと、風で動いているんだ。  しかし、風などそよとも吹いてはいない。  ふと気がつけば、最前から聞こえていたはずの虫の音が、ぴたりと熄んでいる。 「ああぁっ――!」  カタカタが、いつの間にかガタガタに変わり、やがて木の蓋が、ゆっくりと持ち上がる。  恐ろしいのに、目を離すことができない。  お約束で、にゅっと、白い手でも出てくるのかと思ったが、そういうわけでもない。  ただ、寒い――  日が落ちてからも暑さが引かず、寝苦しい夜が続いているはずだったが、まるで寒中に下帯一つで放り出されたかのように、がちがちと、歯の根が合わない。  逃げようにも、足がすくんで動かない。  井戸の中からどろどろと、真っ黒な瘴気が、あふれ出してくる――ような気がした。  その瘴気が、氷の冷たさなのだ。  目をこらしても何も見えはしないのだが、その、見えない闇の中から無数の冷たい手が伸びてきて、今にも心の臓を握りつぶされそうな心持ちがする。
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