第一章 火事場の幽霊   一

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 だが、隼介は、今でも信じて疑わない。  あれは、紛れもなく、殺された女の怨念に触れたのだと。  だって、確かに聞いたのだ。  苦しい、助けて、やめて――と。  あの時点では、兵馬もそう言っていたはずだが、女が自分で井戸に身を投げたものと考えられていた。  井戸の(はた)には赤い鼻緒の駒下駄が、きちんと揃えて置かれていたし、井戸に沈んだ女の死体は、足が下になっていたからだ。  人に突き落とされたのならば、頭が下になるはずなのだ。  だが、身投げなら、「苦しい」と「助けて」は、分かるとしても、「やめて」は、おかしい。  そして実際、隼介が寝付いていた十日の間に、女はたらいの水に頭を押し込まれ、殺されてから井戸に投げ込まれていたことが判明し、下手人も捕らえられていた。  下手人はいっとき御用聞きの子分をつとめていたことがあり、身投げした死体の見分け方を心得ていたのだ。  しかし、隼介が目覚めた時には、既にことは片付いており、隼介の言が何かの足しになることはなかったし、隼介が本当に恐ろしいものに触れたのだと、証明する機会も無かった。
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