第一章 火事場の幽霊   一

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第一章 火事場の幽霊   一

 ――五年が過ぎた。  今の隼介は、南町奉行所の当番方の同心である。  十六の年に見習いに上がり、十八になったこの春、父が急な病を得てあっという間に身罷ってしまい、家督を継いだ。  当番方というのは、さほど重いお役目では無い。と、言うより、格別のお役を拝命していない、いわば平の同心が、まとめて当番方に配属されている。  桜庭隼介は、腰抜けだ。十三歳の夏、肝試しの最中に、腰を抜かして失禁した臆病者よと、八丁堀で知らぬ者はない。  柳井兵馬が、面白おかしく吹聴したからだ。  あれから五年経った今でも、時に話の種にされているらしい。  冗談では無い。  あの時は、おかげで本当に死にかけたのだ――と、隼介は思っている。  兵馬達は、及び腰で出て行った隼介がみっともなく悲鳴を上げるのを、ゲラゲラ笑いながら聞いていたのだが、あまりにいつまでも隼介が戻ってこないので、さすがに心配になり、様子を見に行くと、隼介は蔓草に足を取られ、尻餅をついたような形で昏倒していたらしい。  隼介は、そのまま高熱を発して、十日も寝付いた。  しかし―― 「ひどく寒かったとか言うが、大方臆病風に吹かれていたのだろう。そもそも、井戸の底から冷気が上がるのは、当然のことではないか」  体が動かなかったのも息が苦しかったのも、恐ろしさのあまり金縛りでもおこしていたのだろうし、水中に没したような気になったのは、たっぷりと湿気を含んだ霧が、まとわりついていたためだろう。熱が出たのだって、漏らした小便が冷えて、風邪を引き込んだのだろうよ――と、兵馬は得々と、理詰めで説明してのけた。
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