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昼下がりの、静まり返った屋敷の中を部屋まで戻る。
昼休憩中のためクリスティアンをはじめとするスタッフの姿もない。
由緒ある豪邸特有とも言える冷ややかで重厚な空気は、観光客でにぎわっていた凱旋門でいささか疲弊した二人を適度にクールダウンさせた。
透はリビングのソファに腰を下ろして一息つく。
部屋は美しく清潔で、ソファはやわらかく包み込んでくれる。
窓から見える青空は日本の自宅から見える空の色と同じで、不思議と安らぎを覚えた。
この部屋に来てまだ24時間が経過していないにもかかわらず。
ソファの後ろを通り過ぎようとした賢吾が立ち止まり、透の肩に手をかける。
「疲れてない? 頭痛は?」
そっと透の頭を撫で、さらりとした髪の感触を指先で味わう。
透は振り返るようにして賢吾を見上げた。
「忘れていた。大丈夫だ」
賢吾は穏やかな微笑みを残して、キャビネットを開ける。
「よかった。紅茶? コーヒー?」
ポットの湯をわかしはじめる賢吾を透は眺める。
「賢吾は?」
「紅茶にしようかな。きれいな紅茶缶とティーセットがあるから」
繊細な模様の入った黒い紅茶缶を手にした賢吾はこの部屋によく似合うと思う。
「俺も紅茶でいい。サンドウィッチとの相性もよさそうだ」
ランチはグレゴリーおすすめのサンドウィッチだ。
軽食を希望した彼らのためにわざわざ食料品店に寄ってくれたのだ。
紅茶にしてはさわやかな香が漂いはじめた頃、透はダイニングテーブルの上に置かれた袋からサンドウィッチの紙包みを二つ取り出す。
「皿はどうする?」
この部屋に皿はない。
必要ならキッチンから借りてこなくてはならなかった。
「そのままでいいんじゃない?透が気にしなければ、だけど」
「俺もこのままで問題ない」
賢吾がティーセットをダイニングテーブルに並べる。
執事とはいかないまでも、姿勢のよさと迷いのない手つきはそれなりに様になっていた。
向かい合ってテーブルにつき、サンドウィッチの包み紙を注意深く開く。
二種類のサンドウィッチはどちらも食パンではなく、バゲットに具が挟んである。
ひとつはシェーブルチーズと生ハム、もうひとつは豚肉のパテとピクルス。
ひと口かじり、その美味しさに目を見張った。
塩気とスパイスと旨みと酸味の絶妙なバランス。
「これは・・・・」
透はおもむろにサンドウィッチを包み直して立ち上がる。
「ワインだ!どおりでさっきの食料品店にワインが置いてあったはずだ。どれがいい?」
透がキャビネットからワイングラスを取り出し、賢吾がクリスタルでつくられた曇りひとつないそれをテーブルへ運ぶ。
「オレもそんなにワイン詳しくないよ。でも、この部屋に用意してあるってことは、食事に合わせる用じゃなくてワインを楽しむ用だと思うな。きっとどれも美味しいと思う」
「了解。どれでもいいな」
セラーから赤ワインを取り出し、有名な高級ワインでないことを確認してからダイニングテーブルに戻る。
ワインオープナーで手早く栓を抜き、グラスに注いだ。
明るい赤が映えるグラスを持ち、軽く乾杯してから昼食の続きに取りかかる。
思った通り、ほどよく冷えたワインとサンドウィッチの相性は抜群だった。
「すごく美味しい。このパテ言うことない」
「こっちの生ハムも塩気がきいてて美味い。ワインが進む」
二人は黙々とサンドウィッチをかじり、グラスを傾ける。
暗黙の了解で、半分ほど食べたサンドウィッチを交換した。
「こっちも美味いな」
「でしょ? このチーズとハムも絶妙」
互いに口に出さずとも、相手の嬉しそうな笑みにしあわせを感じていた。
微笑み合いながら、乾杯のグラスを鳴らす。
くしゃくしゃの包み紙の上に乗った食べかけのサンドウィッチ、半分以上空いたワイン、濃紺のセーヴルのカップの中でぬるくなった紅茶―
「最高のランチだ」
やわらかな秋の陽光が二人の笑顔とテーブルに降り注いでいた。
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