La tour Eiffel ・・・エッフェル塔・・・

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シャルル・ド・ゴール空港で賢吾と透を待っていたのは、都が手配したファージュ家のお抱え運転手だった。 頑丈そうな体を黒いスーツに包んだ運転手は明るい笑顔でグレゴリーと名乗った。 彼は車まで歩きながら、簡単な自己紹介(賢吾と同じ27歳で運転手兼執事見習いとしてファージュ家に住み込みで仕えていること、他にも住み込みの従業員がいること)、そして、今日の予定(休憩、ディナー)を流暢な英語で手短に説明した。 "40分ほどかかります。お疲れでしょうから、お休みになってください" 最後にそう伝えて、すみずみまで磨かれた大きな黒いセダンを滑るように発車させた。 眠れなかった賢吾とは違い、透は機内でも短時間ではあったが熟睡できたおかげで、フランスに降り立った瞬間から目に映るものすべてを新鮮に感じることができた。 読みづらいフランス語の案内板も、様々な人種が行き交う様子も、吸い込む空気までが彼の好奇心を刺激し続けていた。 パリの中心部へ向かうにつれて車窓から見える景色が、まるで時代を遡っていくかのように変化する。 のっぺりとしたシンプルな建物の多い郊外を抜け、パリ市内の中心部へ近づけば近づくほど、建物の装飾が徐々に増えていく。 壁に施された瀟洒なレリーフ、優雅な曲線を描くバルコニーの柵、景観への配慮が徹底されつつもスタイリッシュな看板やネオン、突如あらわれる歴史的なモニュメント、それらがもたらす重厚、気品、洗練、粋―パリはそれらを何食わぬ顔をして華麗に(まと)い微笑んでいるようだった。 ―なるほど、都さんが選んだ街だけのことはある。 透が納得したところへグレゴリーから声がかかった。 "エッフェル塔です" 透が見つけられずにいると、 「透、こっち」 賢吾が自分側の窓を示す。 透は見えやすいように座る位置を少しずらし、賢吾の太腿に手を載せて窓を見る。 ダークブラウンの鉄筋をレースのように編みあげた電波塔― 映画で何度も見たはずなのに、直接目にすると全然違って見える。 その優美なたたずまいを間近にしてはじめて、透はパリに来たのだと実感した。 まもなく車は通りに面した一段と複雑なレリーフが施された建物の、かつては馬車がくぐっていたのであろう巨大な金属製の扉の中へ入る。 抜けた先にある中庭の広さを認めた賢吾は、都の結婚相手についてほとんど調べていなかったことを後悔した。 都の結婚が長続きすることを願ってはいたが期待はしていなかったし、透への恋心を自覚していた時だったから、賢吾の頭は彼のことでいっぱいだったのだ。 玄関アプローチの前に停車したのを見計らい、賢吾はグレゴリーに尋ねた。 “この中庭を囲む四方の邸宅はファージュ家のものですか?” “ええ、そうですよ” “アパートメントとして貸し出してもなく? ” “現在は貸し出しておりません” 貴族の邸宅としての規模は小さいものの、歴史上一度は没落したであろうファージュ家がこの邸宅を維持し続けるためには相当な労力と財力を要したはずだ。 “・・・・すごいですね” “・・・・すごいな・・・・” 賢吾と透、ふたりそろっての間抜けな感想―それ以外の言葉が出てこなかったのだから仕方ない。 “皆様そうおっしゃいます。しかし、この近辺ではそれほど珍しくもございませんよ” グレゴリーは気にした風もなく応えて運転席から降り、慣れたしぐさで後部座席のドアを開けた。 豪邸に足を踏み入れた賢吾と透は目の前の光景に息を呑んだ。 玄関ホールはほんの少し青みがかった乳白色の大理石でつくられていた。 奥には同じく大理石のタイルが貼られた広い階段があり、手すりも階段部分も丸みを帯びているため、全体的にやわらかな光を閉じ込めているかのような雰囲気を湛えていた。 壁にはギリシャ神話のアポロンとアルテミスをモチーフにした巨大なタペストリーがかかっている。 ーこれが家?ここに宿泊する? 賢吾と透が呆然と顔を見合わせたところに “ようこそおいでくださいました、ムシュー” 落ち着いた声がかかった。 声のする方を向けば、恰幅のいい壮年の男性が見るからに人の好さそうな微笑を浮かべていた。 ふたりはほぼ同じタイミングでお辞儀をする。 “Bonjour. Je m'appelle Kengo Takita.(こんにちは。滝田賢吾です)” “Enchante. Je m'appelle Toru Kitagawa.(初めまして。北川透です)” “C'est magnifique !(すばらしいフランス語です)しかし、奥様からお二人は英語が堪能だと伺っております。どうぞ英語でお話しください” “Merci beaucoup.(ありがとうございます)” とっさにフランス語でお礼を言う賢吾を見て、透が微笑いながら口を開く。 “ありがとうございます。ミスター・・・・” “申し遅れました。私は執事のクリスティアン・デュパイエと申します。クリスとお呼びください” ふたりが頷くのを確認し、クリスティアンは話し続ける。 “これからお二人をお部屋へご案内いたします。まずは1時間ほどご休憩ください。のちほど奥様がお会いになります” 透は執事が実在した驚きもさることながら、彼の、町で愛されているパン屋の主人のような風貌を気に入った。 彼らに用意されたのは、3階のかなり奥にあるゲストルームだ。 重厚なドアを開けてすぐリビングルームがあり、ドアの先にベッドルーム、そのさらに先にタイル張りのバスルームがある。 それらは屋敷の歴史を感じさせる雰囲気を保ちつつ、使い勝手を考慮して現代的にリノベーションされていた。 壁や革張りのソファはオフホワイトでまとめられており、家具はアンティーク、照明はシャンデリア、ワインレッドのファブリックがフランスらしい小粋なアクセントになっている。 リビングとベッドルームはそれぞれ20畳ほど、バスルームですら8畳ほどの広さがある。 「広い・・・・広すぎる・・・・」 透は大きな洗面台で手を洗いながらタイル張りのバスルームを眺め、首を横に振る。 賢吾はリビングルームを天井からぐるりと見渡す。 「シャンデリアもセンスいい」 窓際に歩み寄り、手入れの行きとどいた庭の景観に感嘆の息を吐いた。 「どうしたんだ? 大丈夫か?」 隣に立つ透に覗きこまれた賢吾は微笑んで大丈夫だと頷いた。 「なにか飲もうか? 冷蔵庫にペリエがあったよ」 「冷蔵庫があるのか?」 賢吾はリビングに置かれたアンティークのキャビネットの方へ歩きはじめる。 「あの中にね」 寄木細工で更紗模様が施された扉を開けると、中央の棚にはテレビ、その下にはカプセル式のコーヒーマシーンやポットなどが置かれ、最下段に小型の冷蔵庫が納まっていた。 賢吾はグラスをトレイに載せ、ペリエを注いでからソファセットに移動した。 透はペリエを一口含む。 炭酸のはじける感覚で頭がすっきりした気がした。 「何もかもが想像以上で・・・・正直言って、驚きを通り越した」 「オレもだよ。ご主人は実業家で住所は7区と聞いていたけれど、高級マンションだと思い込んでいたんだ。まさかこんな・・・・豪邸とは思わなかった」 賢吾の言葉に、透は歴史を感じさせる部屋を見渡す。 「そうだな。五つ星ホテルには宿泊費を払えば誰でも泊まれるが、ここは主人から許可を与えられなければ宿泊できないからな」 「・・・・だね。・・・・いろいろと分不相応な気がするよ」 自嘲的な笑みが賢吾の顔に浮かぶのを見て、透は少しばかり動揺しながらも微笑んだ。 「心配するな。都さんが招待してくれたんだ。それに、そういう態度でいると、都さんに何か言われるんじゃないのか」 都の名前が持つ威力はてき面で、賢吾の表情が急に引き締まる。 「透、ナイスアドバイス。再会した途端にきつい皮肉を言われそう」 賢吾はグラスに残ったペリエを飲み干して立ち上がる。 「スーツケースの荷物をクローゼットに片付けようか」 ベッドルームの隅にウォーク・イン・クローゼットがしつらえてあり、その前に彼らが事前に送っていたスーツケースが置かれていた。 ふたりは服をクローゼットにかけ、その他の荷物も手早く片づけていく。 高い天井から吊り下げられた引き戸は、締めると巨大な鏡になっていた。 男性ふたりの全身を映してなお余る。 賢吾が微笑む。 「ああ、やっぱりこの服を選んでよかった。並んだ時のバランスがいい」 ふたりともカジュアルなジャケットスタイルだが、透はネイビー系でトップスがシャツ、賢吾はグレイ系でトップスはVネックのニットだ。 透も鏡の中の自分たちを眺める。 ―そう言えば、俺たちの関係を知っている人からは“バランスがいい”と何度か言われたことがある。 身長は賢吾の方がほんの少し高い。 体格差はそれほどない。 賢吾の髪は長めのウェービーで、俺はストレート。 透にその実感は乏しかったが、他人から見てバランスがいいと言われれば、そうなのかもしれなかった。 鏡越しにふたりの目が合い、先に賢吾が微笑んだ。 「・・・・疲れた?」 賢吾が透の肩を引き寄せる。 「少しだけ。お前は?」 鏡の中の賢吾はいつもと変わらない微笑を浮かべている。 「オレもかな。眠かったけど、ここに着いた途端に目が覚めたよ」 微笑む透の耳元に賢吾が軽くキスをする。 そのまま透の耳元と頬にキスを繰り返し、 「・・・・透」 賢吾の方へ向いた透の唇にキスをして抱きしめる。 すらりとした肢体は抱き心地がよく、抱き返してくれる両腕がやさしい。 「あー・・・・やっと触れた」 しみじみとしたつぶやきを耳元で聞いた透が笑う。 「大げさだな」 あっさりした返事に納得がいかない賢吾は透を抱きしめたまま歩き、巨大なベッドに押し倒す。 「うわっ、賢吾」 ベッドカバーはワインレッドの生地に金糸で百合の紋章が刺繍されていた。 百合は純潔を意味し、聖母マリアを象徴し、フランス王家の紋章であり、剣のシンボルでもある。 ―剣のシンボルということは、男性のシンボルでもあるということだ。 賢吾は重厚なベッドカバーが意味するものと、その上で慌てる透の表情との対比を十分に愉しんでから、口を開く。 「トータル20時間くらい触れてないんだよ」 「いや、お前、飛行機で手・・・・」 透は、ブランケットの下で指のあいだをいやらしくくすぐってきたのを引き合いに出す。 「あんなのは触ったうちに入りません。触るっていうのはね・・・・」 甘い秘密を匂わすような賢吾の瞳で見つめられ、透はじわりと脳の奥が痺れるのを感じる。 薄い唇からあらわれた細い舌先に唇をペロリと舐められ、濡れた感触に誘われるままに透が唇を開きかけたその時、今までに聞いた中で最も上品なノックの音がクリアに響いた。 「はい!」 透は覆い被さろうとしていた賢吾を慌てて押しのけ、リビングへ向かう。 一方、無情にも押しのけられた賢吾は、颯爽と歩き去る透の後ろ姿を見送りながら、残念そうにため息をつく。 ゆったりと体を起こし、透とクリスティアンの元へ向かった。
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