Arc de triomphe de l'Étoile ・・・凱旋門・・・

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朝食はグレゴリーが部屋まで運んでくれた。 天気はさわやかな秋晴れで、窓際に置かれた2人用のダイニングテーブルについて眺める中庭は素晴らしかった。 熱めのシャワーを浴びたせいか、賢吾が頭を撫で続けてくれたおかげか、その頃には透の頭痛はかなり楽になっていた。 ダイニングテーブルの上には、カフェ・オ・レとクロワッサン、サラダとオムレツという朝食がグレゴリーによって手際よく並べられた。 あたたかいクロワッサンを一口食べ、その濃厚なバターの風味に透は感動する。 「うわ、おいしい」 透の反応を見た賢吾も口に入れ、そのおいしさを確かめる。 「ほんとだ。めちゃくちゃおいしい。今まで食べてたクロワッサンと全然香りが違う」 グラスに水を注ぎながらグレゴリーが微笑む。 “お口に合いましたか?” “すごくおいしいです。焼き立てですか?” “はい。近くのパン屋に配達してもらっています” “うわー・・・・贅沢・・・・” 賢吾の素直な賞賛を受け、グレゴリーは頷く。 “日本にもおいしいパン屋がたくさんあると伺いました” “ここ数年でかなり増えていますね。実際クオリティは高いと思いますが、このクロワッサンほどではないですよ” “焼き立てのパンに勝るものはありません。日本でも焼き立てをお召し上がりなればこのクロワッサンと同じくらいおいしいはずですよ” “試してみます” グレゴリーは透の様子を注意深く観察する。 昨日、透に張りついていた長距離移動がもたらす疲労は影をひそめ、少々気だるげな雰囲気を漂わせている。 頭痛が治りきってはいないからだろう。 丁寧に食事を続ける姿を見て、無理さえしなければ大丈夫だと判断する。 適度な刺激で脳を活性化させて昼間の眠気を追いやり、無理しない程度に体を動かせば、適正な時刻に眠れるだろう。 “本日は16時まででしたら送迎できますよ。どちらを観光なさいますか?” 透はパンに伸ばしかけていた手を戻す。 “実は、地下鉄に乗って移動しようと思っているんです。昨夜、散歩した時に・・・・” グレゴリーに話しかける透を賢吾が遮る。 「透、今日は無理しない方が・・・・」 グレゴリーは日本語に通じてはいないものの、賢吾の表情から意図を察する。 “私も賢吾さんに賛成です。初めて使用する移動手段も存外疲れるものです。特にパリの地下鉄は日本ほど安全とは言い難い。私におふたりを案内させていただけませんか。4月にも奥様のご両親をオペラ座へお送りしたのですよ” 彼の明るい笑顔と控えめな申し出を、さすがの透も断ることはできない。 “では、お願いします” “はい、喜んで” 微笑むグレゴリーに向かって賢吾は頭を下げる。 “ありがとうございます” “こちらこそ、ご案内できて光栄です” グレゴリーにしてみれば、この屋敷で執事候補兼運転手として働きはじめて5年、ようやく執事として働くよう命じられた相手が賢吾と透のふたりだったのだ。 賢吾については都の弟と言っても過言ではない関係であり、しかも、男性のパートナー同伴だと聞いていたから、どんな人物が来るのだろうと戦々恐々としていた。 蓋を開けてみれば、都とは真逆の控えめで誠実なやさしい人柄に触れ、心の底から安堵した。 もちろん、都がやさしい人柄であることは身に沁みてわかっている。 そうでなければ、パリの闇の中で野垂れ死ぬと信じていた彼がこの屋敷で働いているはずがないからだ。 11時前にふたりはグレゴリーの運転するセダンでセーヌ川を渡り、そびえ立つオベリスクと観覧車に目を奪われつつ、コンコルド広場を通り過ぎた。 車は左折をして並木道を進む。 路上駐車を横目で見ながらグレゴリーが口を開く。 “まもなく降りていただきます。左折してすぐ先がシャンゼリゼ大通りですから、凱旋門までは500メートルもありません。私はこの近辺におります。凱旋門をお出になる頃にメッセージを入れてください” “わかりました” 車道の端に車が止まる。 “ありがとう” “スリには気をつけてくださいね” “はい、またのちほど” 二人はすばやく降車し、グレゴリーの運転するセダンを見送ってから歩きはじめた。 言われたとおりシャンゼリゼ大通りに出て、車道の手前から左右を見る。 思わず声を上げたのは賢吾だ。 「右のつきあたりに凱旋門、左のつきあたりにオベリスクと観覧車って」 「なんだこの都市設計! すごすぎる」 現在のパリ市街は19世紀の政治家ジョルジュ・オスマンによって改造された。 風通しの悪い狭い路地で形成されていた不衛生な街を、さわやかな風が吹き抜ける何本もの広い大通りと上下水道を整備した清潔な街へと生まれ変わらせた。 それだけではなく、大通りの先にはモニュメントを配置し、建物の高さや大まかなデザイン、材質まで指定する念の入れようだった。 ジョルジュ・オスマンのアイディアに感動したふたりは、凱旋門に向かってシャンゼリゼ大通りを歩く。 石畳の道路と歩道は広く、車通りと人通りも多い。 背の高い並木の緑は秋に向かってくすみはじめているが、それもまた趣を感じさせた。 「シャンゼリゼ大通りなんて何度も映画で観たことあるし、オベリスクと観覧車だって記憶にあるけれど、本物って違うね」 「全然違う。凱旋門が予想より巨大だ」 広い歩道の端にはオープンカフェや有名なブランドショップがのきを連ねている。 歩道のつきあたりで、ふたりは先にある美しいレリーフが施された凱旋門を眺める。 古代ローマに由来する石造りの門を前に、ふと思い立った透はジャケットの内ポケットからスマホを取り出し、カメラを向けた。 賢吾は時々スマホで写真撮影をすることもあるが、透はほとんどしない。 記憶力がよいからなのか、今まで必要性を感じなかったのだ。 しかし、昨夜寝る前にエッフェル塔の写真を賢吾に見せてもらった透は、初めて写真も悪くないと思った。 ずっと後になって賢吾とパリ旅行の話をするときに、写真は新鮮な記憶を呼び起こすきっかけになるだろうと。 凱旋門の周囲は車道で囲まれ、巨大なラウンドアバウトになっている。 多くの自動車が幾重にもなって同じ方向に回り、各々が目的の道へ進んでいく。 日本ではほとんど見られない光景をよそにふたりは凱旋門へと続く階段を降り、地下通路を歩く。 階段を上って地上に出たそこは、凱旋門の足元だ。 ふたりはセキュリティチェックを受けた後、狭い螺旋階段を息が切れる直前で上りきって、凱旋門の屋上にたどり着いた。 多くの観光客の合間を縫うようにしてシャンゼリゼ通りに面した場所に立つ。 鉄柵の間から見える景色は、またもふたりを驚かせた。 「パリの街を一望できる。・・・・この統一感」 「建物の高さも揃っているから、かなり広範囲まで見渡せるな」 凱旋門を中心にして放射状に並木で縁取られた12本の大通り(アベニュー)が伸びている。 まるで夜空にひときわ大きく輝く星のように。 感嘆のため息をついた賢吾は、視線を透に移して微笑む。 「凱旋門って、エトワール凱旋門とも言うんだよね。エトワールはフランス語で星の意味」 透はまっすぐに伸びた数本のアベニューを右から左へじっくりと眺めている。 「ここに立つとその意味がよくわかるな。・・・・魅力的な街だ」 新たな知識や教養を好む透がこの旅を心から楽しんでいることは、彼の真剣な眼差しを通して賢吾にも伝わる。 「ちなみに、オペラ座バレエ団のナンバーワンダンサーもエトワールって呼ばれてる」 「文字通りスターってことだな」 透は続けて問いかける。 「お前、その知識はどこで仕入れるんだ?」 「主に映画。“エトワール”ってタイトルのドキュメンタリー映画を観たんだよ。明日行くルーヴル美術館の映画も観たし」 「それは俺も観た。“ダ・ヴィンチ・コード”」 「透はラングドン教授シリーズ好きだよね。それも確かにルーヴルが舞台だけど・・・・ドキュメンタリーの映画もあってね・・・・っていうか“ダ・ヴィンチ・コード”の舞台になった教会にも行ってみたい」 急にテンションをあげる賢吾を見て、透もつい微笑ってしまう。 「そうだな、行こう。まだ2日目だ」 「だね、映画のロケ地巡りをしてもいいかも・・・・そう言えば透、頭痛は?」 「問題ない。薬が切れても大丈夫そうだ」 賢吾は安心したように頷く。 「向こう側にも行ってみよう。エッフェル塔が見たい」 「俺も見たい」 右手に移動したふたりは、パリの街から青空に向かってそびえるエッフェル塔を目にする。 昨夜見たキラキラと光を放つ姿とは異なり、パリの街にしっかりと根づいた大樹のようにも見え、不思議な安心感を覚えた。 ふたりしてしばらくのあいだエッフェル塔を眺める。 隣の観光客がエッフェル塔に向けてスマホを構えていることに気づいた透は、数歩下がってスマホを構える。 フレームにはエッフェル塔とそれを眺める賢吾が収まっていた。
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