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『When it was hot』
佐伯浩司(さえきこうじ)は来年で定年を迎える。
金曜の午後八時。
土曜の休日を前に、街路はにわかに人通りが多くなる。仕事帰りのサラリーマンやOL。肩を組み意味なく戯れる学生やカップルたち。車道ではタクシーのハザードが所々で点滅し、クラクションと時折ビッグ・スクーターの改造マフラーの爆音が交錯している。人気のないオフィスの窓から覗けば、それが佐伯にも否が応でも確認できた。
一方、外の喧騒とコントラスト著しい静寂に包まれたオフィス。空調機器の作動音のみが唯一の音韻。さらに副流煙が残る室内の空気を僅かに揺らす事のみが挙措(きょそ)。デモ騒擾並みの禁煙活動がはびこる今日、室内での喫煙はご法度であるが、誰もいないこのオフィスのこの時間。佐伯はニコチンの誘惑に負け、喫(の)むという不義を密かな愉しみとして犯す。細君には禁煙していると言っている手前、煙草は会社のデスクの中に毎度隠して置いているが。
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