『When it was hot』

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一人居残りの残業。いや、溜まった仕事もないのに、飲みの誘いも断り、個人的に勝手に居座っているだけ。残業代は勿論つかない。三十年近く勤めてきた会社をもうすぐ去るという感傷的な思いからか、近頃用もなく会社に残っている時間が増えている。佐伯は顧みた。結局、何だかんだ今まであったが、この会社には思い入れがあり、気に入っていた。やはり俺は会社勤め向きの人間であり、それが性に合っていたんだ、と。 「あの頃と違って、安心して泥酔出来るようになったのも大きいな」  笑う佐伯。そして、所得顔ついで、今夜は一人やきとり横丁にでも立ち寄ってみようかと考えてみる。 外の人ごみとイルミネーションを無聊に眺め続ける。気づかないうちに時間は午後八時半を回っていた。九時前には飲み屋に着きたいと佐伯は思い、デスクを簡単に整理し、くたびれたダレスバッグの鞄を手にした後、勢いよく立ち上がった。その時、鞄から一枚の封筒が床に落ちた。佐伯はネクタイを緩めながらそれを拾う。 「ああ、これは」  その封筒は今日の昼頃、総務の女子社員より受け取ったものであった。差出人の名前がなく、表面にはただ「佐伯浩司殿へ」という宛名のみ。女子社員は佐伯にそれを手渡した時、怪訝そうな表情をしていた。いつの間にかに、会社の正面玄関入り口の、受付の机の上に置いてあったという。佐伯も手にした当初は勘繰っていたが、その時は仕事に追われて忙しかったせいもあり、それ以上は気にせず、適当に封筒を鞄の中に突っ込んでしまっていた。     
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