『When it was hot』

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相手が受話器を切るまで、佐伯は携帯電話に耳を当てていた。そして、おもむろに携帯電話をポケットに収めた後、再び歩き出した。 妻からの電話。 今晩は何時頃帰れるのか、という単に帰宅の確認の内容の電話だったのだが、それだけの内容にも関わらず、佐伯は救われた気分になった。 俺の居場所はここではない。帰るべき場所がある、と。 不意に佐伯によぎる安堵の思い。一方で「家には帰らない」と妻に告げた事は、一夜をこの街で過ごすという意味につながる。無論、仲間と飲むわけではない。一人酒をあおるわけでもない。 『やはり、まだ拘っている』 結局、阿久津とのこれからの再会に俺は吹っ切れていない。会う理由などないし、別に会いたくもない。だが、どうしてか? やにわに哀(あわ)れ蚊が佐伯の耳元で舞った。佐伯は反射的に耳をはたく。すると手のひらに潰された蚊が張り付いた。しばらく無言で手のひらに付いた蚊を佐伯は眺める。 「夏はとっくに終わったろう」 慰めるようにそう呟くとティッシュを取り出し、手に取り付いている圧死した蚊を拭き取った。そして、時計に目をやる。 「そろそろ、か」 佐伯は深い夜道に向かって一人歩き始めた。     
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