7人が本棚に入れています
本棚に追加
◆◇◆◇
狐の話を聞いてからそう間を置かずして、奴らは初めて風呂を焚いた。
まあなんと、狐の火おこしの下手なこと。危なっかしいことこの上ない。
マッチを何本無駄にするつもりだ?
薪はそんなにいらねえぞ。折角熾した火を消したいのか?
おい、狸の小僧! 竈の中を引っ掻き回すんじゃねえ! 飛んだ火の粉で痛え目に遭いてえのか?
狸の嬢ちゃん、ぼっとしてねえでそろそろ湯加減を見に行きな。
そんで、風呂場に入ったら入ったで、まあ好き勝手やりやがる。
小僧! 灰だらけのまんま、いきなり湯船に入る奴があるか! まずは、体を洗いやがれ。
狐の嬢ちゃん、熱いあついと文句を言うだけじゃあ、熱は下がらねえ。水で薄めてやんな。
ああ、こいつらときたら、本当に獣臭えし、湯船も床も、そこいらじゅう毛だらけじゃねえか。
いいか、臭いが早う落ちるよう、儂の湯で体の隅々までよう洗え。
肩までしっかり湯に浸かり、体の芯まで温まれ。
どいつもこいつも、手がかかって仕方ねえ。
皆こぞって、湯船に入る時ゃおっかなびっくりだったのに、暫く湯に浸かりゃあ、蕩けんばかりに表情を緩め、気持ちよさそうにしてやがる。
まったく、いい眺めじゃあねえか。
どうだ、儂の湯は日の本一だろうが!
天井から冷たい雫が落ちてくる。
ポタポタポタリ、ピチョンピチョン。
「父ちゃん! 風呂の中なのに雨が降ってるぜ」
「違うわよ。天井に付いた雫が落ちてんのよ」
「なんだか、お風呂が泣いているみたいねえ。なにか悲しいのかなあ? それとも、どっか痛い?」
狐狸の子らは天井を指さして大騒ぎ。
子らが動けば、バシャンバシャンと湯が波立ち、ほらほら、と狐の家主が声を上げる。
「お前達、はしゃいでないで静かになさい。折角の湯が溢れてしまうよ」
「あら? でも皆して顔が赤いわ。そろそろ上がりましょうか。いい? 肩まで浸かって十数えるのよ。そーれっ」
狸の女房の号令で、皆が口を揃えて数え出した。
いーち、にーい、さーん、しーい、ごーお、ろーく、しーち、はーち、きゅーう、じゅうっ!
ザバーンと一家揃って立ち上がれば、派手にできた大波やら水飛沫やらで辺り一面ビッショビショ。
熱い体を冷やすのにぬるま湯を掛け合ってから、子らは押し合いへし合い、脱衣所へと向かう。
その後を狐の家主が追い、残された狸の女房が風呂場の掃除を始めた。
「お風呂の神様、久方ぶりのお務め、お疲れ様でした。本当に、気持ちのいいお湯でした。ありがとうございます。
これからも私達家族のこと、どうぞよろしくお願い致します」
風呂に付いた汚れや抜け毛を、丁寧に隅々まで洗い落としながら、狸の女房は儂を労る。
ナリはまったく違うのだけれど、かつて風呂上がりに掃除をして儂を労ってくれた嫁御と、今こうして儂を洗っている狸の女房の笑顔は、そっくり優しいものだった。
ああ、本当に。
ああ、なんという。
一度は風呂場としての生を諦め掛けていたというのに、また、こんな日が来るとはな。
今の家族は、ちと風変わりだ。
竈を焚くにも大騒ぎ。獣臭いわ、毛だらけだわで、どうなることかと思うたが、どうやら余計な心配だった。
こやつらは実にいい顔をして、前の家族に負けないくらい気持ちよさそうに、そして、実に楽しげに風呂に入る。
労ってもくれるし、後は毎日風呂に入ってくれれば、もう他に言うことはない。
狐狸の一家よ、お前たちのこと、よく知りもしないのに、毛嫌いしてすまなんだ。
儂は間違っておったよ。
風呂に入るのに、人も獣も関係ない。
儂を必要とし、心から気持ちよく風呂で過ごしてくれたなら、それこそが儂の――風呂場の幸せだ。
かつて儂を愛してくれた、この家の主達よ。
そして、私を気に入ってくれたであろう、この家の新しい主よ。
儂の風呂に入ってくれて、儂の湯を褒めてくれて、本当にありがとうよ。
儂は……儂は本当に、日の本一に幸せな風呂場だ。
最初のコメントを投稿しよう!