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 それは櫛の歯が欠けていくようだった。  儂が見守っていた家族が、ポツポツポツといなくなる。  爺様が突然彼岸へ旅立ってからというもの、坊主共は次々と巣立ち、婆様は曾孫を見ることなく爺様の後を追って行っちまった。  家には旦那と嫁御だけ。  ふたりがどんなに老いても、坊主共は誰ひとり帰っちゃこない。皆、都会に住み着いたのだ。  ――ここは若いのには、ちいと不便だからな。  旦那はよしみを通じる近所の古書店の店主殿にそう呟き、寂しげに煙管を吸う。  昔は巌のように立派な体躯だった旦那も、数年前の病気を機にすっかり細くなり、風呂も一人で気軽には入れなくなった。  それでも、まだ良かったんだ。  嫁御の介助で儂の湯を浴びると、実に気持ち良さそうにしてくれたから。  だが、それも長くは続かぬ。  旦那もとうとう旅立っちまった。  儂の湯に浸かれなくなってから、それはもうあっという間のことだ。  最後に家に残った嫁御は、風邪を拗らせて肺炎になり、そのまま……。  それきり、家には誰もいなくなった。  儂は家諸共、置いていかれた……いいや、捨てられたのだ。  人のいない家はあっという間に廃れ、朽ちるのも早い。  儂がいる風呂場など、特に荒れようが酷かった。  換気扇と窓の隙間から土埃が入り、湯船も床も真っ白。  壁のタイルはとうに落ち、モルタルの壁はヒビ入る始末。  窓枠のカビはいつからあるか。  人の居ぬ家は、なんと虚しい。  家の寿命は、家族との離別の時に尽きたのだ。  この家の死骸は人のそれと同じ。廃れ、朽ち、崩れていく。  悲しい。哀しい。なんとかなしい。  最後に人が儂の湯船に入ったのはいつだったろう。  あの湯は、悲しみに満ちていた。  最後の風呂は、嫁御が逝ったすぐ後だ。  嫁御の通夜葬式を行うのに、坊主共が一度だけこの家に泊まった。  ――このご時世に釜焚きの五右衛門風呂なんて、ウチぐらいのもんだ。古臭くてかなわんよ。  ――イチイチ火を熾さなきゃならんから面倒で、使い勝手が悪いんだよな。  坊主の誰もが、散々愚痴を零す。  ――けど、親父もおふくろも祖父さんも祖母さんも、家の風呂が一番だ、と豪語していたっけ。    確かに、不思議と気持ちいいんだよな。  そう呟いて、寂しく笑うのだ。  それなら、お前ら、今までどうして儂の風呂に入りに帰ってくれなんだ。  坊主共の家族も入ったが、皆が皆、湯船の中で涙を流し、湯をほんの少し塩辛くさせていく。  誰もが湯に滲ませる疲れは重く濃いもので、酷く抹香臭かった。  それが、最後。
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