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川のせせらぎが聞こえる。
鳥や蝉の鳴く声が聞こえる。
カブトムシが蜜を吸っている。
暖かい風が木々を揺らし、葉の重なる音が響いている。
自然とはいつ感じても良いものだ。
草木の匂いが懐かしく鼻をくすぐる。
太陽に雲がかかってるのが少し惜しいな。
「あのボロボロの家、まだあるのかなぁ」
近付くにつれ、胸が高鳴る。
僕にとって唯一の青春。
色んなことをいっぱい知って、いっぱい気付いて、いっぱい感じた場所。
きっかけは確かあのビンタだったな。
あの優しい痛みは、今も忘れられない。
歩いていると、腐った木で支え合いながら、なんとかその場で生きている家がぼんやりと見えてきた。
家の前には以前と変わらず大きな木があり、側に細い川が流れている。
そして川に向かい合う女性が一人。
何やら地面に書いては川に投げ込んでいる。
「バカ、アホ、マヌケ……誰に伝えたくてかわながしをしているの?」
僕が背後から話しかけると、彼女は驚く事なく、満面の笑顔で振り向いた。
「さぁ、誰でしょうね。三年間も待たせたバカ、アホ、マヌケは」
「翔子、全然変わってないね」
「お互い様よ。おかえりなさい」
「……ただいま」
地面を見ると、"す"と書かれている。
僕はその横に"き"と書き足して、川に流した。
「不思議だね。こっちの方が伝わるんだもん」
「これは口に出す為の言葉じゃないのよ。感じる為の言葉なの」
「そうだね」
僕は指についた土を払う。
「三年間、どうだった? 僕はとても短く感じたよ」
「私は長く感じたわ。貴方といる時間の方が、ずっと早く過ぎていたから」
「そうなんだ。これからはまた早くなるね」
「ずっと早いままでいさせてよね」
翔子は顔を隠すように、額を僕の胸に押し付けてくる。
久々に見た彼女の癖に、僕は安心した。
そのまま彼女の背中に手を回し、抱き締める。
「もう離しちゃだめよ」
「あぁ。絶対に離さない」
雲が通り過ぎたのか、太陽の熱を身体に感じた。
きっと閉じている目を開ければ、世界は光に満ちている。
だってこれからは、彼女が側にいるのだから。
ーーfin.
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