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何故、どうして。
僕は考えようとした。けれども考えている時間は無い。
「あと十秒やろう。何か言う事は?」
「ありません」
僕は静かに、震える足を無理矢理動かした。玄関に置いてある金属バットを手に取る。
やるしか無い。
僕は部屋に飛び出した。
驚く組員の脚を狙い、迷う間も無く金属バットを叩きつける。
叩きつけて叩きつけて、また叩きつけて。
母さんに羽交い締めにされるまで僕は殴り続けた。
「あんた……どうして……」
息を荒げ、尻餅をつく。
母さんは僕を抱き締めた。
「母さん、死んじゃだめだ」
久しぶりに流した涙を拭い、僕は何度も何度も同じ言葉を繰り返す。
「分かった。分かったよ。分かったから」
母さんも泣きながら、無理矢理僕を立ち上がらせる。
「逃げるわよ、真也」
そうして僕らの逃避行は始まった。
何処に逃げても、夜になって目を閉じると彼らの足音が頭に響き、眠れない夜が続いた。
昼夜問わず追い掛けられ、毎日移動した。
組員達を巻きながら、ようやく辿り着いたのは、母さんが子供の頃に暮らした村の、更に山奥にある小さなボロ家だった。
ここならきっと見つからないだろうと思った。
ようやく母さんと幸せな日々を送る事ができると思った。
「ここが母さんの生まれた場所なんだね」
「そうだよ。都会とは違うだろ」
母さんは顔を引きつらせながら、腐っていないか心配になるぐらいに、黒ずんでいる木に支えられた小さな家を見ていた。
「今日からここが私達の家よ」
「ここなら静かに暮らせそうだね」
「そうよ。ここならきっと平和に暮らせる」
しかし、僕らに平和が訪れる事は無かった。
村に来てから三日後、母さんは死んだのだ。
ここに辿り着くまでの時間は既に、母さんの心身を壊していた。
僕は一人になった。
孤独になった。
生きる意味が無くなったと思った。
僕も死のう。
首を吊る為の縄を用意し、家の前にどっしりと立っている木に掛ける。
「なにしてるの?」
突然だった。
振り向くと女性が一人。
栗色の髪の毛。
ビー玉のように透き通った綺麗な瞳。
「なにしてるの?」
再度の問いかけの後、頬に衝撃が走った。
繰り出された平手打ちは、今まで受けてきたどの暴力よりも痛かった。
「目が覚めた?」
その場に立ち尽くしたまま、僕は自分の頬に触れた。
痛みにも、優しい痛みがある事を、初めて知った瞬間だった。
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