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本編
「面白くねぇ……」
大佛丹次郎は、そうぼやきながら上之橋を渡り今川町に入った。
全く、面白くない。こんな事なら、八丁堀の自宅で昼寝をしていた方がマシというものである。
南町奉行所同心である丹次郎が、定町廻から本所見廻に組替えされて一年になる。組替えになった理由は、単なる欠員が出たからであるが、何故それが自分なのか、不満に思ったものである。
(こんな、ドブ癖ぇ所に押し込みやがって)
定町廻なら好きな所へ行けたものだが、本所見廻となると職掌は本所と深川に限定されているので、そうはいかない。
丹次郎の脳裏には、忌々しい筆頭同心の顔が浮かんだ。
本所深川は、奢侈と貧困が入り混じる、欲の肥溜めのような町である。それだけに面白い事件が起こる事もあるが、ここ数ヶ月は陳腐な殺しや盗みばかりで、丹次郎の無聊を慰めるものは起きていない。
丹次郎にとって、事件の面白さこそ、この稼業の愉しみだった。貧困や痴情故の事件など、手間が増えるだけで面倒なだけだった。
今川町を抜け、佐賀町が見えて来た辺りで、丹次郎は蝉が鳴いているのに気付いた。
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