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湯の中の蛙
湯と風呂蓋との距離は遠くなくて、私はのぼせそうだった。視界は蓋に遮られていて、湯船の外側は見えない。むわりとした湿度の高い空気が私の肺を充たす。
「美弥子、また風呂の蓋を閉めてるの。まったく、あれほどキツく教え込んだのに蛙の話は忘れたの?」
お祖母ちゃんの声がした。
「お湯の中の蛙はねえ、湯の温度が高くなってもそれに気づかないんだ。湯の熱さに気付かず、じわりじわりと煮られて」
分かってるよ。だってその話は、もうたくさん聞いたから。
「その熱さで死んでしまうんだよ」
祖母のその声はどこか厳しい声だった。咎める声だった。私は湯船の中に浮かぶ蛙を思い浮かべて、そっと目を閉じた。
□
湯船の湯は、昔から熱めにいれていた。湯が熱すぎると文句を言っても、風呂を用意してくれる祖母は「お前の爺様は熱めのお湯が好きだったからねえ。癖でついつい」と笑って湯の温度を下げてくれなかった。
お陰で自立して一人暮らしを始めてからも、湯船の湯をついつい熱めにいれてしまうのが私の癖になってしまっていた。
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