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それは私が中学二年生の時の話だ。あの頃は皆が情緒の揺らめきに脅え厳格な世界の寛容さに心惹かれていた時期でもあった。日々何かに追われている感覚を抱き、それを嘲笑う為に自己を過大評価し、或いは他者を過小評価し、禊と称して弱者に乱暴を施すような時期でもあった。しかし中学二年生の実力差などたかがしれているというものだ。本当に恐ろしい事は、その空間に弱者が放り込まれた時である。
ある少女がいた。彼女は先天的に右眼を患っており、右眼の視力は無いに等しいものだった。左眼は正常であるが、右眼はかろうじて明暗が分かる程度であり、私達が目を瞑っている時の感覚だと言えよう。そんな彼女が教室にやってくる。当時の私は学級委員長を務めていたので皆の和を取り持とうと彼女にも積極的に話しかけに行った。彼女はいつも屈託の無い笑顔で私と話をしてくれた。しかし、その障害こそ殆ど差異の無かった集団に優劣の基準を与えてしまった。
端的に言えば彼女は虐めを受けたのだ。陰口や無視から始まった幼稚な暴力は次第に少年少女の叡智を結集させてより凶悪により粗雑に成長していった。その虐めが私達の青春となり、成長の糧になったのだと思うよ。
勿論私はその集団に与しこそすれ、暴力的行為に熱を注いだ訳ではない。私は彼女の良き理解者であろうとし、自己の正義の為に学級内の粗悪かつ緊急な諸問題に立ち向かわなくてはならなかった。それが私の使命でもあったからだ。
ある日の放課後に担任の教諭に話を付けてこの問題について私が皆の前で言葉を振るった。
虐めという曖昧な俗称にも定義はある。その定義をまだ情緒不安定な少年少女、と言っても私と同い年なのだが、に叩きつけ有らん限りの正義をまくし立てた。誰も私に反論する者はいなかった。誰一人として口を開こうとはしなかった。
私は皆から「委員長」と呼ばれていたのだが、そんな私への反論も質疑も生まれなかった。これは私の完全勝利だ、などとその日は浮かれていたのだが考えてみれば彼らは黙秘権を行使したに過ぎない。この私の言葉に勝敗など無く勝利という言葉は私の愚考の賜物であった。
しかしそれ以降、彼女に対する嫌がらせや虐めの類は見えなくなった。私が感知していなかっただけかもしれないが、虐めは消えたと考えている。
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