2人が本棚に入れています
本棚に追加
しかし、栗鼠は静かにこう答えた。
「眠りたくないのだ」
冬眠をしたくはないということか。
「なぜ?」
「忘れたくないから」
「何をじゃ?」
「桜が咲いたらあいつに告げると約束したのだ」
ことあるごとに「あいつ」と口にする栗鼠が、女は気にくわない。
あいつが一体どうしたと言うのだ。その者は、食うことも雨風をしのぐことも許さぬのか。なぜそのような者の言うことを聞こうとするのか。
「開花を告げることは、冬を越す間に忘れてしまうほどのことなのか?」
栗鼠はかぶりを振った。
「わからぬ。だが、怖い。眠りにつき、春が来て、自分が何もかもを忘れて森で暮らし始めるのではないかと思うと怖くてたまらぬ」
「何を言うておる。今食い溜めてしっかりと眠らねば、そなたは桜花を見る前に死んでしまうのじゃぞ」
女は、栗鼠がこのまま弱り、冬の寒さに負けて死んでしまうことの方が恐ろしかった。
彼女は栗鼠の毛に覆われた両脇を両手で掴み、そっと持ち上げる。
栗鼠は彼女の手の中で手足をばたつかせて激しく抵抗した。
「いやだ! やめろ! 俺はここを動かぬ!」
チーチーと甲高い鳴き声をあげて、女の手の中から逃れようと爪を立てる。
「大人しくせよ! これから森へ連れて行く。たらふく食うまで離さぬぞ!」
「おろせ! 俺はここで花を待つんだ! 飯など食わぬ!」
「それほどまで『あいつ』とやらの約束が大事か?!」
「大事だ!」
女はぱっと手を離す。
栗鼠はぼとりと地面に落ちると、すぐさま身を立て直し素早く地面を這って定位置へと戻る。そして再び葉が落ち続ける枝を見上げた。
その様に、女の胸になんとも言えない悲しさがこみ上げ、鼻の頭にしわを寄せる。
「もう知らぬ! 好きにするがよい!」
そう叫び、彼女はその場から姿を消した。
最初のコメントを投稿しよう!