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いつのまにか、自然と名前で呼ぶようになっていた。
「樹、この前の授業でやったところ、教えて?」
「……お前な、わざとだろ」
「あはは」
笑ってからかう私に、樹は怒ったり機嫌を悪くしたりしない。
それと、樹が他人の名前を呼ばない、というのは本当だった。
けれど、そんなことは別に気にしなかった。
気にならないくらい、樹は普通だった。
二人で放課後の図書室で、教科書とノートを広げて、向かい合って座る。
あの日から、なんとなく話すようになって、そんな日が多くなっていた。
「……樹は、好きな女の子とかいるの?」
「いるわけないだろ」
「そういうのも忘れちゃうのか。この子可愛いな?って思った子とかも? メモしないの?」
「可愛いって思った子メモしてるの、側から見たらどう思う?」
「え、気持ち悪い。不審者」
「だろ?」
そっか。いないのか。
自分の心が、軽くなるのがわかる。
けれど、それは私のことも好きではない、ってことだよね。
そう思うと、思わず小さくため息が出る。
「まあ、メモってないわけじゃないけど」
「……きも」
「……あのな」
樹は、「まあ、いいけど」と肩をすくめた。
沈黙が流れる。
けれど、空気は柔らかくて、居心地がいい。
私はふと、窓から見える桜の木を見る。
満開に咲いていて、綺麗なピンク色が大きく広がっていた。
「……ねえ、あの桜の木の下で告白すると、永遠に一緒にいられるんだって」
「なにそれ」
「ジンクス」
「……俺も聞いたことあるよ。あの桜の木の下には死体が埋まってるらしいよ」
「えっ」
「うっそー。んなの、俺が覚えてるわけねーじゃん」
……やられた。
毎日記憶をなくす樹が、そんな噂を覚えているはずがない。
唇を尖らせていると、樹はケラケラと笑う。
「はーーーっ、やっぱ気楽だなーお前と話すの」
「……」
私は気にしないふりをする。
そっぽを向いて、私も小さく呟く。私も。
樹と一緒にいるのは、正直言って、女の子たちと一緒にいるよりも楽だった。
言いたいことを、言えるから。
相手に気を使って、嘘だらけの言葉を並ぶのが、とても嫌だった。
だから、樹と一緒にいるのは、とても楽だったんだ。
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