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 今から三年前、二十九歳という若さで主任になった彼は業績優秀で、上層部からの信頼も厚く、課長の席も目前と噂されている期待のホープ。三十二歳になった今でも独身で、たった一人でタワーマンションの上階に住み、高級外国車を数台所有しているという、誰が聞いても憧れの存在。  女性にも不自由ないと思われるそんな彼が、男である美弦を人気のない夜の資料室で口説いている光景は異質とも思えた。 「もしかして……主任ってゲイなんですか?」  冷めた目で野性味を帯びた双眸を見つめると、彼は照れたように少しだけ俯いた。 「――さっきから言ってるだろ。聞いてなかったのか?」  吐息交じりに囁かれた声は低く、少し掠れてはいるが艶のあるものだ。  颯真は自分の説明不足だったのかと猛省したのは一瞬で、それよりも羞恥の方が勝った。  あんな台詞を二度も繰り返すなんて出来ない……。そう悩む彼に突きつけられた言葉は予想以上に冷酷なモノだった。 「聞いてなかったんじゃなくて、聞こえなかったんです。いつも『言い訳するな、ハッキリ言え!』って言ってる本人が、まるで独り言みたいにブツブツと……。何言ってるか、ホント分からない」  上司を目の前にして物怖じしない口調でキッパリと言い切った美弦は、勝ち気な栗色の瞳をすっと細めた。  痛いところを突かれたと言わんばかりに眉を顰めた颯真は、大きなため息をつきながらガクリと項垂れる。 「聞こえなかった……のか」 「ええ……」 「じゃあ、最初から説明する。今度はちゃんと聞いてくれ」 「俺、もう帰りたいんですけど」 「手短に話す。いいか? 俺は……」  最初から手短に話せる内容であれば、長い間この状態でいる必要などどこにもないはずだ。  しかも、チャンスがあればすぐにでも戴けるようなシチュエーションを作った颯真の下心に、美弦は半ば呆れ返っていた。  見目麗しいエリート主任、その実態はところかまわず犯す、ヤリたいだけの野獣のようなゲイ。 (最悪だな……)  視線を遮る長い前髪を煩わしそうにかき上げた美弦の手首がいきなり掴まれる。 「なっ! ちょっと、離せっ」 「藤原っ!」  突然、鼻息荒く取り乱し始めた颯真に美弦は焦った。
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