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広い空間に突然、コンコンという音が響いた途端に看板の明りが消えた。そしてすぐに彼が事務所のドアを開けて出てきた。
疲れた顔をしていた。目の下のクマが濃い。
「――まさふみさん」
私が声をかけると、彼はビクンと背筋を伸ばして立ち止まる。そして、緊張しながら私の姿を探し始めた。
「――ここにいるよ」
手を振っても彼は私を無視した。ただ、身を低くしてゆっくりとおそるおそる自分の車に駆け寄ってくる。
私の目の前でキュンキュンと鍵を鳴らしてドアを開け、流れ込むように運転席に乗り込んでドアを閉めた。助手席に座っている私に目もくれず、彼はエンジンをかけるとラジオのボリュームを上げる。
「――ねぇ、今日も来ちゃった」
彼はまた背筋を伸ばして首をコキコキと鳴らした。
「――別れ話しましょう」
バックギアを入れて、背後を気にしながら車を出した彼はぶつぶつと独り言を始めた。
「もういい加減にしてくれ」
「――あなたがはっきり言わないからじゃない」
「どうすればあきらめてくれるんだ?」
「――だから、ちゃんと言ってくれたらいいのに」
「お前のためにできることは全部やったんだ! もう俺なんかに執着しないで、さっさと消えてくれ!」
彼はせまい車内で大声でわめいた。
「―――”さっさと消えて”はないんじゃない?」
アクセルを全開に踏んだ彼の車は、轟音を上げて加速していく。轍(わだち)が深くなっている国道に出ると、一般道だというのに時速120キロまで、速度を上げていく。
「もう、気が狂いそうだ!」
彼は叫んだ。
信号は赤く点滅していた。
一時停止もせずに彼はぶっちぎっていく。
窓を開けて、髪の毛が全部後ろに飛ばされていて、その横顔だけはいつもより何倍も素敵だった。
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