昭和28年7月

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 あっちぇぇっっ!  梅雨明けの太陽が東向きの窓から差し込む。耐えかねて、中島春雄は体を起こした。  深海の猛獣すら起き出しそうな暑さ、ちょっと頭が痛い。  朝の6時だが、すでに汗まみれだ。手ぬぐいを片手に四畳半の部屋を出た。  おんぼろアパートの廊下の中ほど、共同炊事場の戸を開けた。すでに一人が朝餉の準備をしている。その対面の流し台で顔を洗う。顔だけでなく、頭にも水をかぶる。さらに、濡れ手ぬぐいで上半身を拭いて、ようやく汗が引っ込んだ。  部屋から持って来た急須に水をいれる。茶葉は昨日の物だ。部屋に持ち帰り、丼の冷や飯にかける。ぬるい茶漬けと瓶詰めの塩辛を合わせ、男の朝飯だ。  上はシャツ一枚、尻に手ぬぐいをぶら下げ、中島春雄はアパートを駆けだした。今年24才、筋骨たくましい体から若さがほとばしる。身長168センチは、この時代では大柄な方である。  風に汗が飛び、下駄が土埃を舞い上げた。走って行く先は、わずか500メートルほどの所にある東宝撮影所だ。東京都世田谷区成城は映画の街、映画に係わる人々が住んでいた。  平成の現代では都市の真ん中であるが、この時代、撮影所の周囲は田や畑が多かった。  農耕機械も普及しておらず、馬や牛が草を食む風景が広がっている。残飯や糞尿回収の馬車が家々を巡り、肥料や飼料にしていた時代だ。バキュームカーはアメリカ軍が日本に持ち込んだが、まだまだ軍施設から離れた所までは来ない。都市化の波が押し寄せるのは、もう少し後の事であった。
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