昭和28年10月

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 春雄は一人で列車に乗った。また、東京まで一昼夜かけて行く長旅の始まり。  故郷が遠くなるにつれ、体が冷えていく。風が胸を吹き抜けるような感じだ。母と、家族と離れて暮らすのが苦痛に思う時がある。が、そんな感傷は山を越えると消えた。  列車が宇都宮を過ぎる頃には、俳優としての矜持が帰ってきていた。まだ大部屋の、背中しか映らない身ではあるが。  10月15日、イギリス軍は南オーストラリアで原子爆弾の爆発実験を行った、トーテム作戦と呼ばれた。爆発力は広島型原爆より小さかったが、前年のハリケーン作戦の実験と合わせ、イギリスの原爆は実用段階に達した。  この爆発コアを使う爆弾はブルーダニューブ(青きドナウ)と呼ばれた。  10月21日、東京の東宝系映画館で『太平洋の鷲』の公開が始まった。  この時代の映画は、フィルムのプリントが出来上がり次第、順次地方都市へ配給する。東京に比べ、山形の酒田あたりでは2週間遅れの公開が普通だった。1ヵ月遅れも珍しくない。  東宝は『七人の侍』を制作中断とした。監督黒沢明には、すでに撮ったフィルムで作品を仕上げる事が要求された。
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