昭和28年11月  さらばラバウル

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 また泣き出すヨーコ。中島は頭をかくばかり。 「でも、きみは歌がうまい。他のクラブでもキャバレーでも、すぐ店は見つかるさ」 「何軒か・・・行った。でも、朝鮮人とわかると、ダメと言われた」 「また、店を壊されるかも、か」  日本国内では、在住する朝鮮系住民の衝突事件が相次いでいた。戦争中、朝鮮半島から多くの難民が押し寄せ、朝鮮人コミュニティーだけでは養いきれなくなったのだ。難民は失業者となり、さらに北系と南系に割れて抗争を繰り返していた。 「歌だけなら、ヨーコ、日本人に負けない。でも、おしゃべりになると、言葉が違うから、朝鮮とバレる」 「そ、そうかね。ヨーコの日本語は、おれよりまともだと思うけんど」  中島は布団の上で横になる。元より、考えるのは苦手な方だ。  言葉・・・と聞いて、のどに痰がからんだ。時折、大部屋俳優の仲間から指摘されるのだ。中島は山形言葉が抜けてない、と。  中島は山形の酒田に生まれて育った。14才の時、横須賀に出て来て海軍に入った。海軍ではゲンコツで言葉を直された。命令の受け答えは標準語が要求される場所であった。2年で終戦になり、山形に帰って、家業の肉屋を3年手伝った。  山形言葉が原因でセリフがもらえないとしたら、これは悲しい事だ。けれど、山形言葉は誇りでもある。何を今更、直す理由があるものか。 「戦争がお休み中だ。いっそ、お国に帰ったら?」 「ヨーコ、チェジュの人よ。韓国に帰ったら、たちまち殺されるよ!」 「殺される?」
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