昭和28年7月

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 掘り割りに水が入れられていた。船は出されていない。架けられた橋の上にファースト助監督の鷲尾がいた。 「お早うございます」  また元気な声であいさつした。 「おはよ」  鷲尾は水面を見下ろしたまま、気の無い返事。朝一番から水を入れているのに、掘り割りの水位が上がらないのだ。  お早うございます、と各所から声が上がった。監督の安西、撮影の冬馬、今日のメイン出演者である河津清司郎が現れた。 「あれ、水が低いね」  安西の指摘に、鷲尾は眉をしかめて首を振る。 「危ないなら、これは・・・止め、にするか」  今日のシーンは助監督の鷲尾が提案した。一昨日までに、河原でラストシーンを撮影していた。が、ラッシュを仮に編集してみると、どうも見栄えがしない。そこで、橋から落ちる場面を挿入しては、と進言したら通った。  監督からすれば、どうしても必要なカットではない。やらなければ、フィルムを使わずに済む。フィルムの節約も監督の腕の内、と言われている時代だ。 「ちょいと見てみましょう」  中島はズボンを脱ぎ、下着姿で掘り割りに降りた。慎重に足を入れ、水の中に踏み込んだ。  橋の真下へ行く。水かさは股上、深さは80センチほどか。船を入れるシーンなら十分なのだが。 「浅いなあ。やっぱり危険だ」  橋の上で安西が首を振る。  むっ、中島は口をすぼめた。この場面が中止となれば、提案した助監督のメンツがつぶれる。出演するはずの中島はフィルムに残れない。  なんとかしなくては、と中島は水から出た。その足で橋に上がる。  橋はセット、江戸時代の橋を模した物だ。欄干は30センチあまりと低い。そこから水面まで3メートルほどある。
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