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昭和28年8月 七人の侍
今年の盆は帰らない、中島春雄は決め込んだ。
撮影所は短い盆休みである。金を使わないためには、ジージー鳴く蝉の声を浴びながら、ひたすらアパートの一室で暑さに耐える。
「中島さん、小包来てますよ」
管理人が戸を叩いて言った。
はーい、と返事して玄関まで取りに行く。差出人は故郷の母、ハルであった。中島春雄は中島家の三男、名は母からもらった。
ずしりと重い包みを部屋まで引きずる。また、一汗かいた。
包みの中は、米と味噌、缶詰に乾物。ついでに手ぬぐいと下着・・・等々。
手紙が入っていた。開くと、懐かしい母の筆跡だ。
今年の盆も帰れないかの。何かあったら、いつでも帰っといで。
映画館には、よく行きます。どんな物を着ていても、息子の背中を見間違えたりしねからの。
母ちゃ・・・汗が吹き出て、目にしみた。
中島春雄は山形県酒田に生まれ育った。酒田の言葉では母を「かか」と呼ぶ。けれど、少し鼻にかかった発音なので、東京者には「がが」と聞こえるようだ。
「ハルさん、こっちも盆は寝てよう日かい」
戸を開けた顔を見せたのは、角の部屋の寺田だ。小脇に原稿用紙と新聞を抱え、撮影所に出入りする脚本家志望の若者の一人。
「また、どんなの書いたの?」
中島が問うと、寺田は小首をひねって笑った。いつもの事だが、今度のは自信作らしい。
「しかし、まいったぜ。ロスケめ、簡単に休戦条約を結んだと思ってたら、裏でやらかしやがった」
「裏で?」
ロスケとは、ロシアを指す侮蔑の言葉。昭和20年8月9日、ソビエトは一方的に中立条約を破棄、大日本帝国に宣戦を布告した。以来、ソビエトを嘘つき、裏切りと忌み嫌う者たちは多い。朝鮮戦争では北側を支援していたのがソビエトだ。
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