3人が本棚に入れています
本棚に追加
2.人の記憶
山本さんちで夜の一番にお風呂に入るのはお婆ちゃんだ。
「ああああああ」
「おおおおおお」
七十歳を過ぎてもシルバー派遣で走り回ってる智子お婆ちゃんはお風呂に浸かるとうるさい。
「賑やかだね」
「ああ、浸かりながら体を揉むんだ。ずっとこうだよ。うるさいけど、嬉しいうるささだ」
「頑張ってる人の声だね」
「うん。顔を何度もチャプチャプするから忙しいんだ」
「いいなぁ、そっち。景色変わって楽しそう。私ずっと排水溝と蛇口の往復よ」
「こればっかりは運さ」
「ちぇ」
「はいはい、左足さん」
「あ、独り言も始まった」
「時々喋るんだ、機嫌のいい時だよ」
「へえ」
「ようやってくれとるよ、次右足さん。ほっ、モンローみたいな足やったのにね、今ゾウさんやね」
「モンロー?」
「マリリン・モンロー映画女優だよ、ハッピーバースデープレジデント。僕の七十六個目の記憶」
「へえ。映画関係なら私の十八個目、武田鉄矢と桃井かおり」
「ふぅん」
僕は知っているような気もするし、思い出せそうな気配を感じながら、でもやっぱり落下のスピードに思考はちぎれていく。
「さー、あがってビールをキューっといきますか」
お婆ちゃんがお風呂を出る。
閉められた蓋の下で、ピト。ピタ、ピットン。ピットン。
カランからタ、タ、タ、タ。
「百個目となると、もうここには長いの、先輩」
「あー、もう何年になるかな」
「そんなに?」
「そんなに」
無人になった山本家のお風呂場で、僕と相棒は話しをする。次にお母さんが幼稚園児のヨウちゃんと入って来るまで。
最初のコメントを投稿しよう!