5人が本棚に入れています
本棚に追加
彦蔵は、全身が硬直するのを感じた。幾ら足を洗ったとはいえ、盗賊は盗賊。役人に対しての警戒心が消える事は無い。
「こりゃ、〔きせ〕の彦蔵じゃねぇか」
「これはこれは、大佛様」
「浜五郎に仕事を押し付け、お前は散歩かい?」
「へぇ、まぁ」
「天気もいいしなぁ」
と、ニヤニヤとしながら近付いてくる。彦蔵は丹田に力を込めた。
この大佛という男は、普段こそ賄賂をせびる事しか考えていないように見えるが、その実かなりの切れ者だと彦蔵は思っている。身のこなしといい、時折投げかける言葉選びといい、大佛には剃刀を思わせる鋭さがある。
「しかし、散歩にしちゃコソコソし過ぎだぜ」
「コソコソ? 私がでしょうか」
「お前以外にいるかよ」
「さて……」
「しらばっくれてんじゃねぇや。福寿庵へ行ったり、中川町の裏店へ行ったり。お前、あけりってぇ女の下手人を探してんじゃねぇのか?」
大佛が、顔を寄せて耳打ちした。
「……」
「お前があけりの男ってこたあ、もうとっくに調べがついてんだよ」
その一言が、彦蔵の肺腑を突いた。
やはり、判ったか。想定していたが、そこから言い逃れる術を思いつかないでいた。
大佛が、厭らしく笑む。彦蔵は表情こそ崩さなかったが、背に冷たいものを感じた。
「何とか言ったらどうなんだ?」
「確かに……。私の、女でございました」
最初のコメントを投稿しよう!