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「そうかい。で、別れ話が縺れて殺したのか? それとも悋気に嫌気がさしたか?」
「そんな事はございません」
「本当かよ。石を抱かせてもいいんだぜ」
「大佛様。私は」
すると、大佛は欄干に身体を預け、掘割に目をやった。
「っと、そいつは冗談だ。下手人はもう判ってんだよ」
「本当でございますか?」
大佛が頷いて応えた。
「では、もうお縄に?」
「そうはならねぇ。ま、世の中の倣いってもんかね」
「……」
「世の中に、人を殺しても罪にならねぇ人間もいるのさ」
それは侍だ。その言葉が、喉元まで出かかった時、大佛が言葉を続けた。
「巣鴨に慈寿荘という寮がある」
大佛が顔を戻した。そこには、世の中を斜に構えて見ている、いつもの人を小馬鹿にした表情は無い。
「益屋という大店の寮でね。そこに、お前が求める答えがある。だがよ、行けば今度こそ戻られぬ裏の道を歩む事になるぜ」
「今度こそとは」
「足を洗って堅気になったのになぁ、鼬目天の彦蔵さんよ」
その言葉に、したたかな衝撃を覚えた。この男は、自分の過去を知っている。知った上で、今まで何度も〔きせ〕で飲み食いをしていたのか。
「それをどこで……」
「慈寿荘の主からだよ」
そう言うと、大佛は踵を返し片手を挙げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
月の無い夜だった。
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