ふやける頃には

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そこからの私は忙しかった。カビ取りスプレーを片手に浴室を掃除し、調子に乗って部屋にも手を出し、やめられなくなって玄関の三和土まで水拭きした。 へとへとになって、“もう駄目だー!”って言いながら、なぜか笑顔だった。 夕方になり、バスタブにお湯を張る。 でっかい錠剤みたいな入浴剤を投げ入れると、シュワシュワと音を立てて、泡と黄色を吐き出しながらユラユラと沈んでいった。 「いい匂い。」我が家定番の、柚子の香りだ。 それを胸一杯に満たして湯船に体を預けると、自然と息が漏れた。それと一緒に私の中のもやもやが抜けていくようで、しばらくはただゆったりと呼吸をした。 けれどそのもやもやが晴れると、そこには今まで見えなかった……いいや、見ないようにしていたものが酷く乱雑に積み上げられていた。 仕事での不安や、職場の先輩の厳しい言葉の意味、大学を卒業してから、あっという間に疎遠になった友人。そのどれもが、きっと自分から動けば、なんてことないことだったように思えた。 マンションの管理人さんのテンションとか、通りすがりに誰かが笑ったこととか、本当は気にするようなことじゃないとも思った。 きっと私は何度も同じように悩むだろうけれど、たぶんどれもこんなもんなんじゃないかって。 それから……恋人に、謝らなくちゃと思った。 「しゅんすけ……」 名前を口にしたら、涙が出てきた。何度お湯で流しても、後から後から零れて、どうしようもなくて。ざぶんと潜って、全部溶かした。 ようやく手にした携帯には、恋人の名前が二回だけ残されていた。 “おやすみ”と“おはよう”の文字が、堪らなく彼を恋しくさせた。私は何年振りかのサイダーを飲み干して、通話ボタンを押した。
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