第3話 凛花

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第3話 凛花

 ツングースカ大爆発という事件がある。隕石の落下によって森一つの樹々が円形に薙ぎ倒された現象であるが、定のいる教室はそれを思い出させるようであった。ある一点から遠ざかるように人の身体が傾いている。  春の陽気に紛れて入り込んだ羽虫の羽音が聞こえそうなほどに静かだ。シャーペンの芯がノートをこするのにも細心の注意を払い、中央の少女の気を引かないようにしている。  定の居心地は最高に悪かった。緊張感の爆心地付近にいるのはまだいい。問題は背後から突き刺さる熱視線である。物凄い見られている。赤外線カメラで見れば真っ赤になっているのではと疑うほどだ。  授業の声も、喉が詰まったか響きが弱い。今この空間の主人公は入って3時間も経たない少女、と誰もが思っているが実際はその眼光に孤独に忍耐している少年であった。  サインだのタンジエントだのといった奇天烈な文言は、耳の奥の渦巻き辺りで溶けて失せ、定の頭は超能力者のぐるぐる目で一杯だった。  放課後、幽霊部員たる身分を活用して屋上へとふけこむ。春らしからぬ強烈な陽気も、影が薄く押し伸ばされる時刻にはだいぶ和らいでいた。昔は自殺対策だとかで閉鎖されることが多かったらしい屋上も、脳獣出現から自殺率が急降下した今では割と自由に入れる。  マーチングバンドの景気良いリズムを聞き流しながら、何をするでもなく田舎町を見下ろす。定はこの町から出たことがほとんどない。せいぜい東京か修学旅行で訪れた京都くらいのもので、冬に膝まで雪に埋まらない土地というものがどんなものかも知らないでいた。  太平洋の暴力的な快晴、北の息まで凍る寒さ。南洋の生命力溢れる自然。どれも10インチの窓から覗いたことしかない。屋上から見える山の先さえこの目で見たことはないのだ。  この先歳を食って死ぬまでに、それらの新たな世界をどれくらい発見できるだろう。情報が一秒に地球を七周半回っても、自分はこの目でアメリカ大陸を見たコロンブスにもなれない。  脳獣、他人の脳の力が見えるなら、その中までも探れたらよかった。それなら遥か海の果て、空の青の向こうまで掴めたかもしれないのに。  屋上のドアが勢いよく開いた。虚を突かれて固まる定に、大股で近づいてくる真ん丸な瞳。 「やあ、こんなところにいたのか」  どこか古臭い抑揚をつけた声。古戸凛花の声を、これが初めて聞いた瞬間であった。
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