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短編
桜の木の下に死体が埋まっている、という話がある。
存在するか否かだけを問われる面白みのない今の時代、そんな幻想をまとった話など一笑に付されるのがお約束だが、その話をやけに熱心に聞いていた女がいた。
その日も省三は場末の酒場で飲んだくれていて、古びた木製のカウンターに懐いていた。けれど、一ついつも通りではなかった事がある。それは、無口な彼がやけにお喋りだったことだ。
この夜は省三以外に客がおらず、少々気が大きくなっていたのかもしれない。
そんな状態で苦笑いの店主にしつこく絡んでいると、ふと、隣からいい匂いが漂ってきた。
なんだと横を振り向くと、そこにはいつのまにか美しい女が座っていたのである。
彼女は省三をじっと見ながら、笑顔で会釈を返してきた。
「こんばんは、面白そうな話してますね」
静かで美しい声は、酒で熱くなっていた省三の心を簡単に穏やかにし、酒よりも心地よい感覚を与えてくれた。
思わず居住まいを正すと、相手は笑みに緩む口元を抑える。
その繊細で美しい指の先に桃色の爪をみつけ、省三はふと、今まで自分がしていた話を思い出した。
「ああ、桜の下には死体が埋まってるって話かい」
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