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1983年度のプロ野球をみてみたい。
この年の読売ジャイアンツは藤田元司監督のもとセ・リーグを2位の広島東洋カープに6ゲーム差をつけてセ・リーグを制している。
この年の開幕投手は西本聖であり、藤田元司監督が信頼をおいていたことが分かる。この年の西本聖の成績は15勝10敗であった。
1980年度から投球回数200回を今年も上回り230.1 回であった。日本シリーズでもチームは惜しくも日本一を逃したものの敢闘賞を貰っている。
日本シリーズでの成績は(4試合に登板し、2勝1敗、防御率2.08(投球回数26、自責点6)と堂々たるものであった。(第2戦で完封勝利、第5戦では2失点完投勝利)
対する江川卓は日本シリーズでは絶不調であった。セ・リーグでの成績は16勝9敗3Sであった。奪三振も131、防御率も入団以来まもりつづけてきた2点台を上回る3.27であった。
この年松本 匡史(まつもと ただし)は76盗塁を決めて2年連続でセ・リーグ盗塁王となった。他に原辰徳は103打点をあげ打点王及びセ・リーグの最優秀選手に選ばれている。また槙原 寛己(まきはら ひろみ)はセ・リーグ最優秀新人王を獲得している。1990年代の読売巨人軍の投手陣を支えた斎藤雅樹、桑田真澄の一角をにない、1994年5月18日には福岡ドームで完全試合を達成した。
この年のパ・リーグの覇者西武ライオンズは圧巻であった、86勝40敗4分け2位の阪急ブレーブスに17ゲーム差をつけて優勝した。日本シリーズでは読売巨人軍を死闘の末に4勝3敗で下した。投手陣では東尾修が活躍してパ・リーグでは19勝と最多勝投手タイトルを南海ホークスの山内 和宏(やまうち かずひろ)と分け合っている。また、防御率2.92で最優秀防御率を獲得している。
他にも最多救援投手のタイトルをとった森 繁和(もり しげかず)や15勝をあげた松沼 雅之(まつぬま まさゆき)が活躍した。兄の松沼 博久(まつぬま ひろひさ)は12勝あげている。兄の方は1982年度に奪三振数152個で奪三振王を獲得している。
打者では日本に来て3年目のスティーブ・オンティベロスがこの年153安打を打ち最多安打王を獲得している。また、1981年度のパ・リーグの新人王である石毛 宏典(いしげ ひろみち)が中心打者として活躍していた。
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